
フジテレビは6月11日、山本賢太アナウンサー(27)が過去にオンラインカジノを利用していた事実が確認されたと発表した。同局は「社内で疑義が生じた段階で出演を見合わせていたが、今後も関係機関と相談しながら事実関係を確認し、社員就業規則に則り厳正に対処する」としている。
山本氏自身も、「自らの浅はかな判断によって信頼を損なう結果となり、言葉では尽くせぬほどの後悔と恥ずかしさを感じております」と深い反省の言葉を発表。今後、出演番組への復帰については「適切に判断する」との説明にとどまった。
視聴者の批判は“処罰の妥当性”より“制度の矛盾”へ
SNS上では、本人の行為を非難する声と同時に、現在の法制度やメディアの構造に対する懐疑の声が広がっている。
「オンラインカジノが違法なのはわかるが、なぜそれがこれほどまで氾濫しているのか」「違法と言いながら、広告もSNSの投稿も野放しではないか」という声は後を絶たない。
特に、「オンライカジノを利用していた人間を責める前に、元締めを摘発すべき」「違法性が不明確なまま、消費者だけが処罰対象になっているのはおかしい」といった意見が目立った。
日本では、競馬・競輪・競艇といった公営ギャンブルは合法であり、パチンコについても「三店方式」と呼ばれる仕組みを通じて実質的な賭博が可能となっている。一方で、海外のサーバーを通じたオンラインカジノについては、明確に違法とされ、賭博罪が適用される場合もある。こうした「何が合法で、何が違法なのか」という基準が、一般市民には極めて分かりにくいことが、問題の根幹にある。
「知らなかった」では済まされないが、「知る機会がない」構造は公正なのか?
法に触れる行為に対して、「知らなかったでは済まされない」というのが法治国家の大原則である。だが一方で、オンラインカジノを巡る問題では、「知らなかった」ことに一因がある状況も無視できない。
たとえばSNSやYouTubeには、オンラインカジノやスポーツベッティングに関する広告が日常的に表示されている。また、インフルエンサーが「合法的に遊べる」「海外では普通」などと誤解を助長するような発信を行っている例も後を絶たない。こうした環境下で、「法的にNGとは知らなかった」「バレなければ大丈夫と聞いた」という軽い認識で利用する若年層も増えている。
情報の氾濫に対し、法の周知や注意喚起は極めて限定的であり、行政による広報や警告が追いついていないのが現状だ。法を犯した個人の責任は重い。しかし同時に、「誰が、いつ、どこで、何をもって違法とされるのか」という前提を知る機会が与えられないまま、消費者だけが処罰される構造は、公平な社会のあり方として議論の余地がある。
「公人としての責任」と「構造的欠陥」——いま問われるべきは何か
山本アナは報道に関わる立場にあり、その社会的影響力の大きさを考えれば、今回の行動が批判されるのは当然である。しかし一方で、今回の件は「個人のモラルの問題」にとどまらない。日本社会に根深く残る“違法グレー”な構造と、情報格差による処罰の非対称性が、あらためて浮き彫りになった形だ。
フジテレビは「再発防止に向け、オンラインカジノは違法であることを周知徹底する」と表明している。今後、こうした表現が単なるお詫びのテンプレートにとどまらず、社会に対して誠実に警鐘を鳴らす機能を果たすことができるかが問われている。