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中居正広、引退発表 SMAPリーダーとしての歩みと多岐にわたる功績を振り返る

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中居正広さん引退
報道後、のんびりなかいのサイトはアクセス方で一向に開かない状態が続く

タレントの中居正広氏が1月23日、有料会員サイトを通じて芸能界引退を発表した。長年にわたりトップを走り続けてきた中居が選んだ決断に、ファンや関係者からは驚きと惜別の声が広がっている。

中居は発表文で「私、中居正広は本日をもって芸能活動を引退いたします」と切り出し、所属する芸能プロダクション「(株)のんびりなかい」についても手続き完了後に廃業する意向を示した。また、テレビ局やスポンサー各社との調整が全て完了したため、このタイミングでの発表に至ったことを説明した。

彼は「これで責任を果たしたとは全く思っておりません」と述べ、関係者への謝罪の意を重ねた。「多くの方々にご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思います」と語り、誠意を込めて謝罪するとともに、ファンには「こんなお別れで、本当に、本当に、ごめんなさい。さようなら」と別れを告げた。

女性トラブル報道と相次ぐレギュラー番組終了

引退発表の理由は、昨年末より一部週刊誌で報じられた20代女性とのトラブル。中居氏は今月9日、公式サイトで「トラブルがあったことは事実」と認める声明を発表し、示談が成立したことを説明した。しかし、その後も騒動は収束せず、テレビ各局のレギュラー番組が相次いで終了。22日時点で全ての番組が打ち切られる事態となった。

特に、フジテレビの港浩一社長がトラブルに関する会見を開いた後、同局へのCM差し止めが75社に上るなど、問題の影響が拡大していた。こうした状況下での引退発表は、今後の活動継続が難しいと判断した結果とみられる。

中居正広の半生を振り返る

SMAP時代――国民的アイドルグループのリーダーとして

ジャニーズ事務所とSMAPとしての始まり

中居正広は1987年にジャニーズ事務所に入所し、1988年に「スケートボーイズ」のメンバーを経て、1988年に結成されたSMAPの一員として活動を開始した。1991年9月には「Can’t Stop!! -LOVING-」でCDデビューを果たす。当初は苦戦を強いられたものの、次第にテレビバラエティや音楽活動を通じて幅広い人気を得るようになった。グループのリーダーとしてその後の快進撃を牽引することとなる。

SMAPは音楽やバラエティを通じて日本のエンターテインメント界を刷新し、代表曲「世界に一つだけの花」は社会現象を巻き起こした。リーダーである中居は、ユーモアと真摯さを併せ持ち、メンバーを支える存在としてファンに愛され続けた。その存在感と親しみやすいキャラクターはファンに深く愛され、SMAPは1990年代から2000年代にかけて日本を代表するアイドルグループとして絶大な支持を得た。

MCとしてのキャリアと成功

1994年にフジテレビの長寿番組「笑っていいとも!」にレギュラー出演を果たすと、1996年には「SMAP×SMAP」が放送開始。番組内では、進行役としてバラエティの中心的存在となった。さらに、NHK紅白歌合戦では史上最年少の25歳で司会を務め、通算6回にわたる司会経験を持つなど、MCとしての地位を確立していった。

また、TBSのオリンピックメインキャスターとして8大会連続で抜擢されるなど、多岐にわたる活躍を見せた中居は、バラエティからスポーツ、報道まで幅広いジャンルで才能を発揮した。

SMAPの活動と並行して、中居はMCとしても頭角を現した。1994年には25歳でNHK紅白歌合戦の史上最年少白組司会者を務め、その後も6度にわたり司会を担当。的確な進行と軽妙なトークで、特番などでも欠かせない存在となった。

「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」「中居正広のニュースな会」など、冠番組を数多く持つ中居は、その鋭い洞察力と温かみのある人柄で、視聴者だけでなくゲストからも信頼を寄せられていた。

アエラで語った「自分を語る日」

2013年のアエラのインタビューで、中居は自身について「中居正広が『中居正広』を語るには、まだ時間がかかる」と発言した。また、「仕事で汗をかき、恥をかくことで成長する」との持論を展開し、挑戦し続けることの大切さを訴えた。その姿勢は、彼の芸能人生の随所に表れている。

チャリティー活動と誠実な人柄

中居はチャリティー活動にも熱心に取り組んできた。東日本大震災後には、福島県を訪れがれき撤去や炊き出しを行い、義援金として2億円を寄付したことでも知られる。そのほか、熊本地震や新型コロナウイルスの支援活動にも積極的に参加し、多くの人々を支えてきた。

SMAP解散と新たな挑戦

2016年末、SMAPは惜しまれながら解散。解散後の記者会見で中居は「この決断が正しかったのか、自分に問い続けてきた」と語ったが、ファンや関係者への感謝を何度も口にした。

その後、中居は2020年にジャニーズ事務所を退所し、個人事務所「株式会社のんびりなかい」を設立した。父の命日にあたる2月19日に登記した同事務所は、彼の新たな挑戦の象徴となった。

中居は記者会見で「一人でやる」と決断した理由を語り、「のんびり」とはいえない精力的な活動を続けた。その一方で、長年のプレッシャーと向き合い、「もう少し自分を大切にする時間が必要だ」と心境の変化を明かした。

独立後も精力的に活動を続けた。俳優としても「模倣犯」「私は貝になりたい」などの映画で高い評価を得ており、多彩な才能を発揮してきた。

引退後に向けた思い

今回の引退発表に際し、中居は「今後も、様々な問題に対して真摯に向き合い、誠意をもって対応して参ります」と述べ、責任を果たす覚悟を示した。

ファンへの感謝と未来への期待

最後のメッセージでは、「ヅラの皆さん一度でも会いたかった。会わなきゃだめだった」とファンへの深い感謝を表しつつ、「こんなお別れで、本当に、本当に、ごめんなさい。さようなら…。」と伝えた。

日本のエンターテインメント界に数々の功績を残した中居正広氏。その引退は大きな喪失感をもたらす。いつの日か、またファンの前に顔を出す日が来るのか、多くの人々が注目しているが、いまは私は貝になりたい、の心境だろう。

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寒天 かんたろう

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ライター歴25年。月刊誌記者を経て独立。伝統的な日本型企業の経営や大学、高校、通信教育分野などの取材経験が豊富。

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