
YouTuber・ヒカル氏が投稿した一本の動画が話題になっている。「うつ病と診断されました」という衝撃的なタイトルで公開されたその内容は、自身の現状を語るものだった。しかし、その中身は医師による正式な診断ではなく、知人への相談に基づいた「一歩手前」という告白だった。さらに動画内で放たれた「うつ病を盾にして頑張らない奴が嫌い」という言葉が、現在進行形で病と闘う人々の心を深く傷つけ、炎上状態に発展している。果たして、うつ病は本人の「甘え」や「やる気」の問題なのだろうか?厚生労働省のデータと、筆者の身近で起きた悲劇的な実例を交え、私たちが知るべき「鬱の真実」を浮き彫りにする。
YouTuberヒカル氏が告白した「うつ病の一歩手前」とSNSでの炎上騒動
YouTuber・ヒカル(34)が、2025年12月30日に投稿した動画が大きな波紋を呼んでいる。動画のタイトルは「うつ病と診断されました」。常に強気な発言でファンを牽引してきた彼から飛び出した「うつ」という言葉に、視聴者の間には衝撃が走った。
ヒカル氏は動画の中で、最近の自身の異変を赤裸々に語っている。「最近本当に“撮影したい”っていう気持ちが全く起きなくて、この2週間ずっと撮影なしで過ごしてました」「一応知り合いの精神科の先生に今の自分の状態を話したら“無気力症候群か、うつ病の一歩手前だね”みたいなことを言われて」
ヒカル氏曰く、2週間もの間、動画投稿を休止したのは初めてのことだという。今年5月に「交際0日婚」で話題となった実業家の進撃のノア氏との離婚を発表したばかりという背景もあり、精神的なダメージを心配する声も上がった。しかし、この動画は単なる「休養報告」では終わらなかった。
「診断」か「自称」か。ネットを二分する賛否両論の嵐
動画公開直後から、SNSやコメント欄は瞬く間に炎上状態となった。その理由の一つは、ヒカル氏が「実際に受診し、診断書を受けたわけではない」という点にある。
ネット上の批判的な意見には、以下のようなものが目立つ。
「相談しただけで診断ではない。タイトルで『診断されました』と書くのは、本当の患者に対して失礼すぎる」
「うつ病一歩手前とは到底思えない」
一方で、彼を擁護するファンからは「休んでほしい」「ありのままを伝えてくれて嬉しい」といった声も上がっている。しかし、物議を醸したのは形式的な問題だけではない。ヒカル氏が動画内で放った、自身の「うつ病観」だ。
「俺がうつ病なわけないやん。俺みたいな強い人間がさ、そんな無気力症候群とかになるわけないやん」
「俺、うつ病の奴嫌いなんですよ。それ言い訳にして頑張らない奴多い。大半は盾にしてるだけでやる気ないとか自分に甘いだけ。そういう自分になりたくない」
この「甘え」という断定が、現在進行形で病と闘っている人々、そしてその家族の心を深く抉ることになったのだ。
ヒカル流「オープン鬱」と「甘え」への持論が火に油を注いだ理由
ヒカル氏はこれまでも「オープンマリッジ(夫婦公認の浮気)」など、世間の常識を覆す価値観を提示してきた。今回の「うつ病の一歩手前」公表も、彼なりの「オープン鬱」として、弱さを晒す新しいスタイルだったのかもしれない。
しかし、精神疾患を「やる気」や「性格の強弱」で語ることの危険性は、計り知れない。
SNSや他所でのコメントでは次のような悲痛な叫びが引用されている。
「マジの鬱になる人は、めっちゃ真面目な人だし、サボってるわけではなく本当に動けない。それを自分も嫌で責めてしまう。有名人なら発言に気をつけてほしい」
「うつ病は身だしなみも整えられず、時計やネックレスさえ重荷になる。話題作りにうつ病を利用しないで」
彼が言う「大半は自分に甘いだけ」という言葉は、病気によって「頑張りたくても脳が命令を聞かない」状態にある人々にとって、救いようのない絶望を与える。
なぜなら、うつ病患者が最も自分自身に言い聞かせ、苦しんでいる言葉こそが「自分は甘えているのではないか」という自責の念だからだ。
筆者が目撃した「鬱病の真実」――それは生命の停止に近い
ひと口に「うつ」と言っても、その症状の現れ方や深刻度には極めて大きな個人差があることを忘れてはならない。ヒカル氏のように、無気力感に襲われながらもカメラの前で現状を語れる「軽症」や「抑うつ状態」と言われる人もいれば、数年間にわたり社会との接点を完全に断たざるを得ない「重症」の人もいる。このグラデーションの存在を無視して、自身の経験だけで「うつ病とはこういうものだ」と定義してしまうことこそが、最も危険な行為と言えるだろう。
ここで、ヒカル氏が語った「無気力」とは次元の異なる、うつ病の凄惨な実態について触れたい。筆者の知人には、かつて大手企業でバリバリと働き、常に笑顔を絶やさなかった男性がいる。彼はある日を境に、文字通り「壊れて」しまった。
当たり前ができない地獄:風呂にも入れず、表情を失う
うつ病が重症化すると、健康な人には想像もつかないような「機能不全」が起こる。彼は、風呂に入ることすらしなかったという。湯船に浸かるどころか、服を脱ぐ、シャワーを浴びるという工程の多さに脳が追いつかず、ただ浴室の前でうずくまる。また、おしゃれに気を遣い、流行の服を纏っていた彼が、いつしか服装や髪型など、自身の外見に一切の関心を持たなくなった。髪は伸び放題、髭も剃らず、何日も同じ服を着続ける。さらに、以前はあれほど熱中していた趣味のスポーツも、全くしなくなった。好きだったはずのことに1ミリの興味も湧かず、ただ呆然と天井を見つめるだけの時間。笑顔が絶えなかったはずの彼の表情は消え失せ、瞳からは光が消えた。励まそうと冗談を言っても、筋肉が固まったかのように口角一つ動かない。食事も1日1食食べることができれば精一杯。それは「やる気がない」のではなく、生命を維持するためのエネルギーや生きるための気力が完全に枯渇した状態なのだろう。
働けていても「壊れている」現実
また、仕事をしなければと無理に体を動かして出社している「隠れ鬱」の状態も地獄だ。うつで悩んでいる別の方に話を聞くと、デスクに座ることはできても、パソコンの画面に映る文字が記号にしか見えなくなった。通常なら15分で終わるメールの返信に、数倍の時間がかかる。思考が霧の中に閉じ込められたようになり、同じ行を何度も読み返す。周囲には「効率が悪い」「仕事ができない」と見えるかもしれないが、本人の脳内では、全力疾走をしながら数式を解いているような極限の疲労感が24時間続いている。
「寝れば治る」というアドバイスと孤独な闘い
うつ病患者が周囲から受ける言葉で、よく聞くのが「寝れば治る」「食べれば元気でる」というアドバイスだ。 当事者からすれば、これほど無責任な言葉はない。なぜなら、「寝たくても眠ることもできず、食べたくても食べる気力が起きない」のがこの病気の正体だからだ。
ある患者はこう語る。「深夜、静まり返った部屋で、自分が生きている価値がないという思考が止まらない。脳が勝手に『死ね』という信号を送り続けてくるんです。食べれば治ると言われても、リンゴの一切れさえ飲み込めない。そんな状態で『甘え』だなんて言われたら、もう死ぬしか選択肢がなくなる」
厚生労働省の「うつ病」解説ページによると、うつ病は脳内の神経伝達物質である「セロトニン」や「ノルアドレナリン」が減少する、立派な生理的疾患である。決して、本人の考え方一つでコントロールできるものではないのだ。
救えなかった命――友人が選んだ最期と「死にたい」の重み
私には、忘れられない友人がいる。彼は鬱病を発症した後、懸命に「普通」に戻ろうと努力していた。通院し、薬を飲み、少し体調が良い日には「もう大丈夫」と笑顔を見せていた。しかし、ある朝、彼は誰にも何も告げずに自ら命を絶った。
彼は最期まで、自分が「甘えている」「自分はできない人間だ」と思い込み、自分を許すことができなかった。うつ病における「死にたい(希死念慮)」という感情は、単なる落ち込みではない。癌の痛みが激痛として現れるように、脳の機能不全が「死という解放」を求めてしまう症状なのだ。
ヒカル氏が口にした「うつ病を盾にする奴」という言葉が、もし彼の耳に届いていたら。彼はさらに自分を責め、もっと早くに絶望の淵へ追い込まれていただろう。
厚生労働省のデータが示す「100万人超の悲鳴」と自殺の現状
個人のエピソードだけでなく、数字で見ても日本の現状は深刻だ。 厚生労働省が3年ごとに行っている「患者調査」によると、平成8年に43.3万人だった「気分障害(うつ病等)」の総患者数は、平成20年には104.1万人に達し、12年間で約2.4倍に急増した。さらに最新の「令和5年精神保健医療福祉の今後の施策推進に関する検討会」の資料によれば、精神疾患を有する総患者数は約603万人にものぼる。
特筆すべきは、日本の精神病床数の多さだ。令和2年時点で約32.4万床。日本医師会の国際比較(2021年)によれば、アメリカが約8.2万床、イギリスが約2.3万床であるのと比べても、日本の数字は圧倒的に突出している。 なぜこれほど多いのか。その理由の一つとして、日本では精神疾患に対する偏見が強く、地域や家庭でのケアが困難なため、入院という形で「社会から隔離」せざるを得ない現実があると指摘されている。
警察庁の集計に基づいた厚生労働省の分析によれば、自殺者数は長年高い水準で推移しており、その背景にはうつ病等の気分障害が深く関わっていることが明らかになっている。年間2万人を超える人々が自ら命を断つ国で、「甘え」という言葉を安易に投げかけることは、医学的・統計的根拠を無視した、もはや凶器を振り回すのと同義ではないだろうか。
うつは「甘え」か「病気」か。
改めて問いたい。うつ病は本当に「やる気」の問題なのだろうか。医学的には、うつ病は「心の風邪」などという生易しいものではなく、「脳のエネルギー切れ」である。厚労省の資料では、以下の9つの症状のうち5つ以上が2週間以上続いている場合、専門医への相談を推奨している。
- 悲しく憂うつな気分が一日中続く
- これまで好きだったことに興味がわかない
- 食欲の減退または増加
- 不眠または過眠
- イライラ、焦燥感
- 疲れやすく、何もやる気になれない
- 自分に価値がないと思える(自責感)
- 集中力や決断力の低下
- 死にたい、消えてしまいたいと思う
これらはすべて、本人の自由意志でコントロールできない「症状」だ。インフルエンザで高熱が出ている人に向かって「熱を出すのは甘えだ」と言う人はいないだろう。それと同じことが、脳という臓器で起きている。
インフルエンサーの影響力と、私たちが本当にすべきこと
ヒカル氏のようなインフルエンサーが、自身の不調をオープンにすること自体は、メンタルヘルスの可視化という意味で一定の価値があるかもしれない。しかし、その発信に「間違った知識」や「偏見の助長」が含まれる場合、その罪は重い。
彼を支持する若者たちが「あ、鬱って甘えなんだ」「ヒカルさんは2週間で復活したのに、あいつはいつまで休んでいるんだ」という思考を持ってしまうことを、筆者は最も危惧している。ヒカル氏が今回直面したのは、おそらく「燃え尽き症候群(バーンアウト)」や、離婚・不祥事による一時的な「適応障害」に近い状態だったと推測される。それと、数年にわたり布団から出られない「重症のうつ病」を同じ土俵で語り、「大半は甘え」と断じるのは、あまりにも想像力が欠如している。
私たちは、彼の言葉を鵜呑みにするのではなく、正しい知識を持つ必要がある。もし身近な人が不調を訴えたなら、まずは「気づき」と「声かけ」が必要だ。そして何より、彼らが発している「SOS」を「甘え」の一言で切り捨てない寛容さが、今の日本には求められている。
結びに代えて:その不調、決して「甘え」ではない
ヒカル氏は動画の最後で、今後もYouTuberとして活動を続けていくと宣言した。彼の強靭なメンタリティと回復力は、彼自身の才能だろう。しかし、誰もが彼のように「強く」はいられない。そして、「強くないこと」は決して罪ではない。
そもそも、うつ病とは「甘えたい人」がなる病気ではない。むしろ、誰かに甘えたり、上手に手を抜いたりすることができない真面目な人が、責任感ゆえに限界まで頑張りすぎてしまった結果、脳が悲鳴を上げた状態なのだ。「サボりたい」からうつ病を装うのではなく、「サボれない性格」の人が自分を追い詰めすぎて動けなくなるのが、この病の本質とも言える。
今、この瞬間も、死にたいほどの苦しみの中で、風呂に入る気力さえ振り絞れずにいるあなたへ。あなたの不調は、決して「甘え」ではない。それは、あなたがこれまで十分に、あるいは過剰なほどに頑張り続けてきた証なのだ。それは、脳という臓器が限界を超えて発している警報であり、適切な治療と休養が必要な「病気」であることを、どうか忘れないでほしい。
ヒカル氏の動画は、図らずも日本のメンタルヘルスの脆弱さと偏見を浮き彫りにした。私たちはこの騒動を単なるエンタメとして消費するのではなく、うつ病という病の真実を知り、二度と「甘え」という言葉で命が失われない社会を作っていく責任がある。
【参照】うつ病|こころの病気について知る(厚生労働省)
【参照】精神保健医療福祉の現状等について(厚生労働省)
【参照】令和6年版自殺対策白書(厚生労働省)



