
世界最大級の年金基金である年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が、社会課題の解決と投資収益の両立を図るインパクト投資戦略を検討している。10月6日付のブルームバーグ報道によれば、GPIFは2025年3月に示したサステナビリティ投資方針でインパクト投資に道を開き、少なくとも国内の他年金基金4基金が投資方針の見直しを進めているという。
年金運用の受託を目指す資産運用会社は、需要拡大を見込み戦略調整を急ぐ。GPIFは投資額や開始時期を未定としつつ、既存投資におけるインパクト指標の測定や投資リターンとの関係性の検証を進める構えだという。
政府もまた、インパクト投資を日本の現実的な社会課題解決に資する手段と位置づける。内田和人理事長は、環境・社会目標を重視する投資アプローチが最終的に経済と資本市場の成長につながるとの考えを示している。
想定投資先の輪郭 「社会価値銘柄」の条件と候補領域
さて、報道を受けて、市場関係者の関心は「どこに資金が流れるのか」に集まる。インパクト投資では、インパクト(社会的成果)を事前に仮説設定でき、かつ進捗を定量確認できる領域が選好されやすい。
国内で当面の射程に入るのは、気候・医療・ウェルビーイング・社会包摂の4領域だ。気候では再生可能エネルギーの供給網、需要側の省エネ・需要平準化、トランジション関連の部材・制御機器が俎上に載る。医療・ウェルビーイングでは、慢性疾患の罹患・重症化抑制に資する医療機器、在宅・遠隔医療の基盤、働く人の健康を改善する産業保健テクノロジーが候補になる。
社会包摂では、高齢者・障がい者の移動や就業機会を広げるインフラ、地域金融と連携した事業承継や地方の雇用創出に資するソリューションが射程に入る。特定の個別銘柄を断定的に挙げる段階ではないが、これらの領域で社会課題に直結する製品・サービスを持ち、KPIと財務成果の連関を開示してきた企業群が、いわば「社会価値銘柄」として注目されやすい。
GPIFはまず上場株式への適用から始めるとの見立てもあり、テーマごとの指数連動や主動的エンゲージメントを組み合わせる設計が想定される。
計測と開示 インパクトを「測る」実務の焦点
ESGの枠を超えて評価の重心が「成果」に移る以上、測定の頑健性が最重要になる。実務では、ロジックモデル(インプット→アウトプット→アウトカム→インパクト)で因果の筋道を明確化し、ベースライン(起点)とカウンターファクチュアル(介入がなかった場合)を置く。
気候では回避排出量(tCO2e)やエネルギー原単位、医療では治療アクセスの拡大件数・再入院率の低下、労働・ウェルビーイングでは欠勤日数・離職率・エンゲージメントの改善などが主要指標になる。
金額換算の手法としては、インパクト加重会計(Impact-Weighted Accounting)やSROI(Social Return on Investment)に基づくアプローチが用いられ、指標の「実在性」「二重計上の回避」「期間整合」「リスク調整」が争点となる。
資本市場での受容には、測定プロセスの第三者保証、ダブルマテリアリティの観点、IFRS S1/S2等の基準との整合、KPIのトレーサビリティが欠かせない。GPIFが既存投資の中でインパクト指標の計測とリターンとの関係を検証するとしているのは、この測定・保証の体系化を先に据えるためだ。
世界の年金ファンド比較 「規模」「態度」「執行」の違い
海外の大手機関投資家は、ESGやテーマ投資の枠内でインパクト志向をにじませてきたが、姿勢と執行は各国で異なる。
オランダ:ABP(運用:APG)
ABPは2024年に「インパクト投資ポリシー」を公表し、GIIN定義に基づく“意図性・測定可能性・リターン”を満たす投資を明確化した。2030年までにインパクト投資を€30bn(約¥5.3兆円)、うち気候移行€10bn/自然・生物多様性€1bn、オランダ国内で€10bnの配分目標を掲げる。実装は主にプライベート市場(インフラ、リアルアセット、PE、オルタ債、不動産)で進める方針だ。ABPはSDI(Sustainable Development Investments)と“インパクト投資”を区別し、前者はSDGs貢献性の判定枠、後者は“意図+測定+投資家貢献(ToC)”まで要件化する立て付けとしている。ABP
ノルウェー:政府年金基金グローバル(GPFG/運用:NBIM)
NBIMは未上場再エネインフラへの投資を段階的に拡大。初弾は蘭Borssele 1&2の50%取得(2021年、Ørsted案件)。以降、CIPの再エネファンドCI Vへ€900m(約¥1,580億円・2024年)や、Brookfieldのエナジートランジション・ファンドへ$1.5bn(約¥2,250億・2025年)などファンド型のコミットも積み上げている。一方で、未上場再エネは基金全体のポートフォリオでは極小(2024年1Q時点0.1%)で、段階的・検証重視の姿勢が読み取れる。
カナダ:CPP Investments(CPPIB)
CPPは「サステナビリティ統合」を全資産クラスの投資プロセスに織り込む方針で、“インパクト”のラベルよりもリスク・リターン最適化の中でのエンゲージメント/テーマ投資(Sustainable Energies等)を前面に出す。実例として欧州のRenewable Power Capitalの成長支援(追加€800mコミット・約¥1,400億円)や、インフラ・再エネ案件を継続的に増やしている。2025年年次報告でも、インフラ・サステナブルエネルギー領域を「重要な成長ドライバー」と位置づける。
これらに比べ、GPIFはベンチマーク運用を基盤にしつつ、エンゲージメントや指数設計の工夫で全体ポートフォリオの改善を図る「段階的・検証重視」の姿勢を崩していない。今回のインパクト投資検討も、測定と開示の制度設計を先に立て、投資の拡張はその検証結果に依拠させるという、日本的な慎重さが色濃い。
ESGから「インパクト経済」へ
ESGが主にリスク回避と評判管理の領域で語られてきたのに対し、インパクト投資は「社会価値の創出を通じて超過リターンの源泉を広げる」試みだ。国内の運用会社に求められるのは、テーマ選定の明確化、測定可能なKPI設計、財務との連関の提示、第三者保証の体制構築である。
GPIFのパイロットが成功すれば、年金資金という長期マネーが日本の社会課題市場の価格付けを変え、資本コストの差として企業行動に働く公算がある。