
2025年の参院選で無所属ながら23万票を集め、政治的存在感を高めた平野雨龍(ひらの・うりゅう)氏に対し、「帰化人ではないか」とのネット上の憶測が根強く続いている。その疑念は、氏の名が中華風に見えることや、対中強硬路線という一貫した主張とも相まって、戸籍や出自に関心を呼び起こしている。
一方で、平野氏は複数回にわたり戸籍謄本と家系図を公開。2025年6月25日および7月27日に公表された資料では「荻野鈴子」が本名であること、3親等までに帰化人が存在しないことが明確に示されている。「帰化ではない」ことを自ら証明した形だ。
SNSでの炎上と「しーっ!」問題
注目を集める中で、SNS上では平野氏をめぐるバイアス報道も頻出している。AbemaTVでの「ひろゆき」氏の発言(のちに撤回・謝罪)や、YouTubeライブ配信中の「しーっ!」の仕草が「隠蔽ではないか」と切り取られて拡散され、議論が再燃した。
同時に、インフルエンサーの暇空茜氏が、平野氏の過去の名義とされる「荻野鈴子」名義での大学生時代の自己紹介動画を引用し、「顔・声・喋り方、全くの別人ではないか」と指摘したこともある。
比較された動画は、いずれも本人による自己紹介とされているが、その見た目や話し方の違いが一部のユーザーに強い違和感を与えている。暇空氏は「声、骨格、イントネーション、すべて違う」と明言し、「何があったのか」と疑念を示した。
また、公開された戸籍には、「母」の字が「毋」であったことに注目する指摘も見られたが、これについても平野氏は「筆の選択や書式の範囲内」と説明。現職議員以上に個人情報が追及される状況には、「過剰な監視では」との懸念も寄せられている。
“顔の縦型化”と“母語の変化”に注目する声も
この指摘に対し、別の投稿者も「鼻とほうれい線の位置は似ているが、顔の形が明らかに縦に伸びた」「喋り方が不自然。日本語が母語なのに、20代後半でここまで変わるのか」と追随。特に2019年以降の「香港との接点」が喋り方の変化につながったのではという分析もあるが、それにしては急激すぎる変化だという声も少なくない。
そして、こうした別人説から香港の利益を追求するためのスパイなのではないかという説まで拡散されている。
一方、批判とは逆の立場を取る投稿も目立つ。「女の子は10年で別人のように変わる」「声も、表現の仕方や社会的立場によって変化する」とし、「同一人物である」と断定する見解も根強い。「笑った時の姿などは昔の動画と一緒。どう見ても同一人物だろ」といった声も。
あるユーザーは「表層的にしか見れていない人が“別人”と感じる」とまで述べている。
“背乗り疑惑”に発展する懸念 再び問われる戸籍公開の限界
こうした論争の根底には、「別人のような変化=成りすましや背乗りではないか」といった疑念がある。ネット上では以前から、平野氏の戸籍や家系図に対する検証が繰り返されており、すでに本人が「3親等まで日本人」「戸籍は正式に公開済み」と複数回発信してきたにもかかわらず、今回のような「別人説」が再浮上する背景には、「事実とは別に、感覚が優先されるネットの論理」があるとも言える。
実際、戸籍を公開した2025年6月・7月時点では、疑念はある程度収束するかに見えたが、今度は「見た目」「声」「話し方」という主観的な要素が争点となり、論点がすり替わる形で再燃している。
「そもそも政治家かどうか」問われる異常な注目度
戸籍を公開し、候補者であったことは事実だが、現職の議員でもなければ、特別職にあるわけでもない。そうした私人の過去映像がここまで掘り下げられる事態に、「もはや人権侵害では」との声も少なくない。
X(旧Twitter)では「現職議員にはここまでの精査はされていない」「私人をここまで追い詰める理由は何か」とする冷静なコメントも多く見られた。一方、論争の焦点となった暇空茜氏や他インフルエンサーの影響力の大きさも浮き彫りとなっており、「疑念の連鎖」がひとつの現象として形成されつつある。
ネット社会における「同一性証明」の限界
映像、顔、これらの要素はいずれも“証拠”として扱われる一方で、時間や立場による変化、あるいは心的外傷や人生経験による自己表現の変容は、「別人」との印象を与えかねない。
今回の件は、平野雨龍氏という一人の人物の問題にとどまらず、「ネット社会において何をもって“本人”と認定するか」「情報公開のどこまでを求めるのが適正か」という、より根源的な問題を突きつけている。
戸籍公開の背景にある生い立ちと断絶
平野氏の過去には深い心的外傷があると言われている。中学時代から家庭内暴力を受け、「親が死んでも葬式に行かない」とまで語る彼女は、戸籍名「鈴子」への忌避から「雨龍」と名乗るようになった。その名は、中国文化とは無関係に、雅楽の楽器「龍笛」から着想を得たものだという。
家庭との断絶、PTSD、精神的苦悩を抱えながらも、茶道や華道に傾倒し、日本文化を体現する舞台女優や和装講師として活動。やがて香港の民主化運動への共鳴をきっかけに政治の世界へ足を踏み入れた。
無所属の戦いと右派層からの支持
2025年の参院選では、東京選挙区から無所属で出馬。党の支援を受けずに23万票を獲得した背景には、外国人政策や移民問題への警鐘、対中人権問題に対する毅然たる態度がある。憲法9条の見直し、スパイ防止法の制定、経済主権の確立といった具体的政策に支持が集まり、選挙終盤では「保守の受け皿」として認知が広がった。
街頭演説では、帰化した国会議員の存在に警鐘を鳴らし、「国籍は公表すべきだ」と主張。これにより再び「帰化人では」との疑念が浮上するが、本人は繰り返し否定し、必要な情報を開示している。
信念を貫く「異端の活動家」か、それとも次世代の改革者か
平野雨龍という人物は、SNS時代の「見られる政治家」の象徴ともいえる存在なのかもしれない。和装姿で街頭に立ち、伝統文化を纏いながら、人権や国家主権を強く訴えるその姿は、既存の政治家像とは一線を画している。
渋谷系ギャルだった高校時代から、家庭との断絶、文化活動家としての修練、政治活動への転身まで、その人生は分断と再生の連続であった。「制度を変えなければ何も変わらない」という覚悟が、彼女を議場の扉へと向かわせた。
現在は落選した身ではあるが、ネット世論と市民の支持を背に再起の機会を伺う姿勢に変わりはない。戸籍や名前をめぐる周縁的な議論はどこに落ち着くのか。別人説が言われるが、彼女の言葉を信じるのであれば、日本の国益のために立ち上がった人であるとすれば、「平野雨龍」が次に何を問うのか。
その言動は、これからの日本政治の一断面を映し出す鏡になるかもしれない。