
北極圏の白い氷河が、静かに「黒」へ染まり始めている。地球温暖化の影響で北極海の海氷融解が加速し、かつては凍ざされていた航路を行き交う船舶が急増しているのだ。それに伴い、船舶エンジンから排出される「ブラックカーボン(煤・すす)」が雪氷面に降り注ぎ、太陽光の反射率を低下させている。
これが熱吸収を招き、さらなる融解を引き起こす「負のスパイラル」が懸念されている。
今週、国際海運規制当局との会合で、フランス、ドイツなど欧州諸国は「北極海を航行する船舶へのクリーン燃料義務化」を強く主張した。しかし、この環境を声高に叫ぶ主張の裏側には、大国のエゴと経済合理性が衝突する現実が横たわってもいるようだ。
トランプ再登板が招く「規制の空白」
「気候変動はペテンだ」と公言するドナルド・トランプ米大統領の再登板は、北極の環境保護に暗い影を落としている。
昨年、国際海事機関(IMO)が進めようとした「海運炭素税」の導入は、トランプ政権の強い介入により事実上の棚上げとなった。米国はグリーンランドの「所有」に関心を示す一方で、環境規制には後ろ向きだ。
北極圏と海運に特化したNGO連合『クリーン・アークティック・アライアンス』のシアン・プライアー氏は、AP通信の報道で「排出量とブラックカーボン、そのどちらも北極圏では全く規制されていません」と危機感を露わにしている。
氷上のシルクロード」を狙う中国、実利を得るロシア
欧米が足踏みをする間に、着々と北極海でのプレゼンスを高めているのが中国とロシアだ。ここに、元記事では触れられていない地政学的な別の力学が働いている。
ロシアにとって、北極海の氷解は国益に直結する。北極海航路(NSR)の大部分はロシアの排他的経済水域(EEZ)内にあるためだ。
氷が溶ければ、自国のLNG(液化天然ガス)や原油をアジアや欧州へ輸出するのが容易になるだけでなく、通行する外国船からの「通行料収入」も見込める。ロシアが保有する原子力砕氷船団は、環境保護よりも航路維持を優先して稼働しているのが実情だ。
一方、近北極国家を自称する中国は、このルートを「氷上のシルクロード」と位置づける。スエズ運河やマラッカ海峡といった、米国の影響力が強いチョークポイント(海上交通の要衝)を回避できる北極航路は、中国の安全保障戦略上、極めて重要度が高い。
中露両国にとって、北極の氷が薄くなることは、軍事・経済の両面で「好機」と映る。ブラックカーボン規制が彼らの開発スピードを鈍らせる足枷となるならば、足並みが揃うはずもない。
日本企業のジレンマ「スエズか、北極か」
この問題は、対岸の火事ではない。日本企業もまた、難しい判断を迫られている。
日本から欧州への海上輸送において、北極海航路を利用すれば、南回りのスエズ運河経由に比べて航行距離を約3〜4割短縮できる。これは燃料費の大幅な削減と、輸送日数の短縮(約10日〜2週間)を意味する。
近年、中東情勢の不安定化によりスエズ運河のリスクが高まる中、日本の商社や海運大手にとって「北極ルート」は喉から手が出るほど欲しい選択肢だ。
しかし、そこで立ちはだかるのが「環境リスク」である。今回AP通信が報じたように、ブラックカーボンの温室効果はCO2の1600倍とも言われる。安易に北極航路を利用すれば、「北極を汚して利益を得ている」という国際的な批判に晒されかねない。
実際、世界最大のコンテナ船会社MSCのソーレン・トフトCEOは「北極海航路は利用しない」と明言し、環境配慮をアピールしている。
日本の海運業界は、技術力で活路を見出そうとしている。日本郵船などはLNG燃料船や、将来的にはアンモニア・水素燃料船の導入だ。しかし、今回の記事にあるように、アイスランドのような環境先進国でさえ、コスト増を嫌う漁業界の抵抗で規制が進んでいない現状がある。
コスト競争力が求められる国際物流の中で、日本勢だけが高コストなクリーン燃料への転換を即座に進められるかは不透明だ。
2026年、北極は「開発」と「保護」の分岐点に
北極評議会のデータによれば、2013年から2023年の間に北緯60度以北の船舶数は37%増加した。2024年の重油使用禁止措置も抜け穴が多く、実効性は薄い。
欧州が理想を掲げ、米国が背を向け、中露が実利を貪る。 各国の思惑が交錯する中、日本はどう振る舞うべきか。単なる航路の利用者として傍観するのか、それとも技術力を背景に新たな「北極ルール」の形成に関与できるのか。
「黒い雪」が覆う北極の姿は、欲望と理性がせめぎ合う現代社会の縮図そのものである。



