「富山銀行は挑戦したい時に背中を押してくれる数少ない金融機関」と語るのは、金沢市で80年以上の歴史を持つ老舗解体業の株式会社宗重商店 三代目の代表取締役 宗守重泰さん。「江戸時代は地域社会のヒーローだった解体業を、憧れの職業にリブランディングしたい」との想いで改革に邁進し続けてきた宗守さんに、持続可能な社会づくりに貢献する解体業の未来とその想いをサポートしてきた富山銀行様との繋がりについて伺いました。
富山銀行は挑戦したい時に背中を押してくれる金融機関
株式会社富山銀行執行役員金沢営業部長 末武真吾様より株式会社宗重商店さんへ
金沢市に本社を構える企業で、解体事業、リサイクル事業、リユース事業などを手掛けています。創業は1939年で、長い歴史を持つ会社ですが、現在の代表取締役 宗守重泰さんの代になり、大きく成長しました。
宗守社長はSDGsや地域貢献への理解が深く、積極的に取り組んでいます。建物の解体時に残されていた家具などを東南アジアに送るリユース事業も行っています。同様に、金沢市内の一人暮らしの学生が卒業してこの地を離れる際にも、冷蔵庫などを引き取って、次に来る学生に使ってもらう取り組みも行っています。このような取り組みは、途上国にも地域にとってもありがたい存在ですので、応援しています。
株式会社宗重商店 代表取締役 宗守重泰さんが評価する株式会社富山銀行
宗守:こういったお言葉をいただけて素直に嬉しいです。業界に劣等感を抱いていた自分でしたので、富山銀行様の数多くのクライアントの中から弊社を選んでいただけたことに驚きを感じると共に、今後も業界のボトムアップをしていかなければならないなと責任感を新たにしています。
-御社は1939年創業の老舗解体業と伺っています。株式会社富山銀行様との関係はどのように始まったのでしょうか?
宗守:弊社は1939年に古物商として出発し、その後は建設現場の解体専門業者として運営してきました。平成に入ってからは第二創業期と位置付け、本業の解体業のノウハウを活かした関連事業へと進出しました。富山銀行様が金沢に進出した2014年からのお付き合いになります。弊社を担当してくれている末武さんとも当時から大変お世話になっています。弊社はお付き合いする金融機関や保険会社などをあまり増やしたり変えたりしないスタンスなのですが、そこにすんなり入ってきていつの間にか重要なパートナーになっていた。末武さんの手腕でしょうね。
-富山銀行様や末武さんの魅力はどういったところにあるのでしょうか。
宗守:富山銀行金沢営業部さんは顧客が法人中心ですから貸出やコンサルティングがメインの金融機関です。設備投資とか新しい挑戦をしたい時には必ず背中を押してくれる。そういうサポートをしてくれる数少ない金融機関です。富山銀行様が金沢に進出してきた頃は、弊社としても更に上を目指すために積極的な設備投資を検討していた時期だったので良いタイミングで出会えたと思います。
また富山銀行様が持っているネットワークを活かして人と人を繋いでくれる。地方で商売をしていると地域のネットワークはとても大事です。それを惜しげもなく出して繋げてくれることに、一経営者としてとても助かっています。
富山銀行は団塊ジュニア世代の経営者を大切にしてくれる
宗守:それと、私たちの世代の話に耳を傾けてくれるところもありがたい。周囲の企業を見渡すと、どこも団塊世代が会長や相談役になっているので、金融機関も親の世代にまず話を通そうとされます。自分たち団塊ジュニア世代を、意思決定権を持つ商談相手として見ていないのではないかと感じます。しかし富山銀行様は私たちの世代を対等なパートナーとして大事にしてくれます。同じ世代の経営者たちにはそれが嬉しい。それも富山銀行様の魅力です。
SDGsも追い風に、人の暮らしを支えてきた解体業を「憧れの職業」にしたい
-宗守さんは現在、解体業の他に不動産事業・不用品処分・遺品整理、更にはリサイクルセンターや中古家電・家具の販売店舗「ラクマル」の運営など多方面に事業を展開されています。なぜこのように各方面へ拡大しようと考えられたのでしょうか。
宗守:解体業を更に発展させていくために、事業基盤を安定化させる必要があると考えたからです。1つの事業だけに依存しない会社にしたいと考えた時、古代ギリシアのパルテノン神殿のような太い幾つもの柱で会社を支え、社員を守れる会社にすることが理想と考え、このような形になっていきました。
-解体業の事業基盤をより強固にするための事業展開だったのですね。本業である解体業へのこだわり・想いが感じられます。
宗守:私たちの仕事は江戸時代の「火消し」に繋がります。火消しは日々大工や左官、鳶などの仕事をしていますが、いざ火事が起こったら揃いの法被を羽織り纏を担いで真っ先に現場に駆け付け、延焼を防ぐために先回りして建物を解体して回った。そして無事に火を消し終えると町の人々から拍手喝采を受けた。解体とは、そういう憧れの職業でした。
それから時代は移り、憧れられる職業も変わりました。ある時はメーカーの人であったり商社マンであったり、今は安定した職業ということで公務員も憧れの仕事になっていますね。しかしそういった移り変わりの中で、作業着で仕事をする、いわゆるブルーカラーの職業はなかなか表に出にくいものになっていった。ですが新しい建物を作る時、まずやらなければならないのはそれまであった建物を解体し、土地を真っ新にすることです。そしてその際に出る大量の廃材を環境に影響を及ぼさずに適切に処分するのも解体業の仕事です。最近になってようやく世間では環境だSDGsだと叫ばれるようになりましたが、私たちは創業以来ずっと環境に携わる仕事をしてきたのです。
50年前なら解体業を憧れの職業にしようと思える環境ではなかったかもしれない。しかし、解体やリユース・リサイクルを通じて地球環境を守るだけでなく、何より地域のインフラをサポートし、町と人々の暮らしの移り変わりを支えてきたのは、いつの時代も解体業なのです。私自身、一度家業を離れ外部で仕事をしていた時期がありました。それから戻ってきた時、改めて「地域に必要不可欠な仕事なんだ」と気づかされたのです。
それに巨大な重機を手足のごとく操って解体を進める職人の姿を見て、この姿を繋いでいかねばならないと使命感も持ちました。ロボットを操縦するヒーローになりたいと子供たちが思うのと同じように、再び憧れられる仕事にしていきたい。作業着でやる仕事もなくならない、ネクタイを締めてするだけが仕事じゃないぞ!と広めていきたいですね。
異業種をベンチマークして解体業界を憧れの職業に改革していく
-これまでも様々な改革をされてきましたが、今後についてはどうお考えでしょうか。
宗守:私は前職がデパート勤務でしたので、お客様第一の考えが身についていました。しかし家業に戻ってみると、現場環境が違いすぎて愕然とした。職人は皆、身なりも良いとはいえず言葉遣いも良くなかった。お客様の前でもその態度を変えようとしない、昔ながらの悪い職人気質が残っていた。「それではダメだ、解体業だってサービス業だ」と思い改革を始めました。反発を受けることもありましたが、その後時代も変わりコンプライアンスを重視する風潮が強くなると、私の目指す姿も多くの人に受け入れられるようになりました。株式会社宗重商店は違う、と見てもらえるようになったと思います。
しかしそれは今までの業界のスタンダードが低かったからです。ですから業界内の評価に甘えず、もっと他の業界をベンチマークしてそれを追いかけていきたいと考えています。「給料が高い・休暇が取れる・カッコイイ!」の新しい3Kの仕事を創っていくことが目標ですね。
-最後に、富山銀行様に期待していることがあればお聞かせください。
宗守:末武さんは今後、金沢営業部のこれからを担う若い世代の育成などをされていくことになると思いますから、お互いの成長のために顧客を集めて交流会なども企画していただけたら嬉しいですね。金沢中からたくさんの経営者が集まると思いますよ。末武さんに感謝している人はたくさんいますから。
プロフィール
宗守重泰
石川県金沢市生まれ。地元百貨店勤務を経て1999年、祖父の代から続いた解体業界に入る。三代目経営者として2007年に株式会社宗重商店代表取締役に就任。2021年1月より「解体道」のスローガンを掲げ、リブランディングを進めている。
株式会社宗重商店
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