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石塚株式会社

https://ishizuka-net.co.jp/

〒101-0024 東京都千代⽥区神⽥和泉町2番地-29

03-3866-8201

三代目経営者が語る事業承継のリアル 仲の良いファミリー企業に潜む承継問題・石塚株式会社

ステークホルダーVOICE 経営インタビュー
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石塚株式会社代表取締役社長熊谷弘司
石塚株式会社代表取締役社長熊谷弘司(提供:石塚)

石塚株式会社は、プラスチック・ビニール製品の卸売から製造、さらに施工までを手がける独自のビジネスモデルで成長してきた。三代目社長・熊谷弘司氏は、かつて家業を継ぐことに強い拒否感を抱きながらも、自らの意志でその道を選び、現場での経験を通じて経営観を大きく転換させていく。

入社初日に感じた恐怖、幹部との衝突、そして結果で信頼を勝ち取った経験——。本稿では、同氏の歩みとともに、彼が新たに手掛ける事業承継支援にかける想い、その背景にあるリアルな課題に迫る。

 

製造・卸売から施工まで。三代目が拓く新戦略

 石塚株式会社は1955年に創業したプラスチック・ビニール製品の商社兼製造加工、更に施工まで行っており、特に工場や倉庫向けのビニールカーテンの製作・施工については日本最大大手の企業だ。

 今回お話を伺った同社代表取締役社長熊谷弘司氏は、祖父の興した同社の三代目の社長になる。

「弊社は私の祖父熊谷武司が、透明性が高く、柔軟性と加工適正が高い塩化ビニールという素材に可能性を感じて起業しました。当初は主にこの透明な塩化ビニールを製造し、それを雨合羽やプールなどで使われるビニールバッグに加工するメーカーに卸していた。その後1991年に祖父のあとを継いだ父庸一の代に加工業に進出し、事業領域を拡大していきました」

 当時生産していたのは日用雑貨や文房具など。日常の中で雨避け・防水が必要な部分でひろく使われるビニール製品を様々に製造していた。しかし、その後主力であった文房具の製造は海外の安価なものが出回り始め、徐々に低調に。

 そんな状況の中で父を継いで三代目に就任したのが弘司氏だった。

「2018年に就任したのですが、今後の事業展開を見据えた時に、弊社のメインであるビニール素材を用いてもっとできることはないかと考えました。
 そこで着目したのが工場などで使われるビニールカーテンです。また建設業許可も取得し、より川下に、つまり素材の卸売と加工だけでなく施工までもワンストップでできるようにしました。それによって利益率の向上と付加価値を加えられるようにしたのです」

 現在は工場を中心に施工実績は年間約200件(2025年実績)。ビニールカーテンの分野での地位を不動のものにしている。

物流施設施工事例
(石塚株式会社によるビニールカーテンの施工事例)

「無理だ」と感じた経営者への道

 三代目社長として赫々たる実績を示している熊谷氏だが、意外にも家業を継ぐことにはずっと抵抗があったという。

「小さい頃父や祖父から、あとを継ぐことを強制されたことはありませんでした。しかし高校を卒業した頃に祖父が他界し、その葬儀の席で会社の関係者から『社長になったらここにいる社員とその家族の生活を背負うんだから大変だね』と言われた。『そんなことは自分にはできない、無理だ』とその時強い拒否感を持ったんです」

 他にも当時世間を賑わせていたIT社長の姿や言動を見て、「経営はゼロサムゲームをやり続けて勝ち組を目指すもの。誰かの不幸の上に経営者の富が成立している」と感じ、それならば経営者になるなんてゴメンだとも思っていた。

 そして後述する事業承継問題だ。父への代替わりの際、相続でもめている親族の姿を見てもう関わりたくないと感じてもいた。

 ではなぜそれだけ拒否していた経営者への道を進むことになったのだろうか。

「大学卒業の時、父からこれからどうするんだ、あとを継ぐのかと問いかけられた。その時にこれらの理由でやりたくない、とキッパリ言いました」

 しかし庸一氏はショックを受けた様子もなく、そうか、という感じだったという。

「そもそも父は無理に私に継がせようとしたこともありませんでしたから。ですが私は『第一志望の企業に就職できたら自分のやりたいことをやらせてください。もしそこに落ちたらあとを継ぎます』と言ってしまっていたんです。どうしてそんなことを自分でも言い出したか全く覚えていないのですが(笑)。そして見事にその第一志望の企業に落ちた。

 しかしそれで自分の退路が断たれた気がして、自分で言い出したことだ、やるしかないと覚悟を決めた」

 そうして熊谷氏は父の会社の仕入先の一つに入社し、そこで修業の時代を過ごすことになる。

 新社会人として働く中で、大きく変わったのが経営のイメージだった。

「ビジネスはゼロサムゲームではなく、お客様に貢献して、喜んでいただくもの、という当たり前の事実を学ばせていただきました。社会人2年目で経験したリーマンショックも大きかった。売上前年比8割減、といった苦しい業績の中でも社員のためにやりくりする経営者たちの姿を見て、自分が将来経営に携わっていく時にどういった信念で取り組むべきかを学べた」

 心に今も残っている出来事がある。

「当時の上司や先輩が、ド新人の自分に何でもやらせてくれる人でした。入社してまだ一カ月くらいの頃です。初めてアポイントを取れたお客さんに伺う時、まだ扱う商品のことを何も分かりませんから、先輩に同行をお願いしたんです。

それで最寄りの駅に着いた時に背中を押されて『ここから一人で行ってきな。俺が一緒だと全部俺が喋ってしまってお前の勉強にならないから』と。それでカタログ片手に一人で商談に行き、なんとか注文を取ることができたのですが、そういう教えられ方をしたのを覚えています」

 修業のために入社し、数年で辞めることが決まっている熊谷氏に対し、そうやって短期間でも仕事のノウハウをしっかり教え込んでくれた当時の上司や先輩のことを、今でも熊谷氏は感謝している。

 それから3年半に亘って営業を務め、さらには経理も経験した。併せてビジネススクールにも通い経営知識を学んだ。そして2010年、家業である石塚株式会社へと入社することになる。

 

膝が震えた入社初日……後継者として結果を示していく

「入社した日のことを昨日のように思い出します」と熊谷氏は話す。

 なぜ覚えているのか。それは膝が震えるほどの恐怖を、その時に味わったからだ。

「それまで祖父と父が築いた会社というイメージを持っていただけで、社員のことは名前や社員数として把握しているだけでした。それが入社日、挨拶のために全社員の前に立ってそれぞれの顔を見て、初めて具体的に姿をもった実像として目に飛び込んできた。

 おそらく、社員の皆さんも自分のことを品定めしていたのだと思いますし、私もそういう目に晒される覚悟で立ちはしました。しかしこの人たちの生活を守っていく立場にいずれ自分が就くのだと感じた瞬間、どうしようもなく怖くなって膝が震えた。その時ほどの恐怖は社長就任の時ですら感じませんでした」

 初めて自分のこれから背負う責任の重さを実感した熊谷氏。その責任を常に意識しながら様々な企画・提案していくのだが、目の前に立ちはだかったのは当時の会社の幹部たちだった。

「『結果を出してから言え』。そう言われました。私は充分に調査し、成長の可能性を確信して提案しているので、反対する人を説得しようと何度も試みたのですが、それでも同じ言葉で否定されました」

 例えば、と熊谷氏は話す。

 ここに荒れ地がある。そこは一見荒れ地と思えるが、よく見ると日当たりはよく、近くには川も流れている。石をどかせば肥沃な土が眠っていることもわかった。条件は充分に揃っていて、石を片付けて耕していけばいずれ立派な畑になって作物がとれるだろう。

 そういった将来利益が見込まれる「荒れ地」なのだと何度説明しても、幹部たちは『結果を出せ』の一言で突っぱねた。

 最後には熊谷氏は、説得を諦めて一人で荒れ地を耕しはじめた。

「なんで分かってくれないのか。この人たちは私の意見をただ潰したいだけなのではないだろうか、と考えまでしました。だから自分一人でもやって結果を示して見返してやろうと思って荒れ地に立ち向かった」

 そしてようやく荒れ地から収穫ができようとしていた時、幹部たちが自分を見る目が変っていることに熊谷氏は気が付いた。

「そこで私もやっと気が付いたんです。この人たちは私の意見を潰そうとして否定していたのではなく、本当にその荒れ地を耕すことはムダなことだから止めた方が良いのでは、と助言する想いから私を諭してくれていたのです。しかし私が行動し、結果を示したことで考えを改めてくれた。またそれと共に、私のことを認めてくれ意見に耳を傾けてくれるようになった」

 大きな転換点だった、人を動かすためには何をすべきなのかを知ることができた、と熊谷氏は言う。

 ……最初は拒否感しかなかった経営者になった熊谷氏だが、彼と同じくこれから事業を継承せねばならない人へ、このようにアドバイスする。

「『言われたから継ぐ』は絶対に間違いです。自分で選択し自分の意志で継ぐこと。そして結果を示すこと。何かしら周囲を納得させる結果を自分の力で示すことで、周囲はただの御曹司、親のあとを継いだ人、ではなく新しい経営者として認めてくれるようになるのです」

Ziptrak施工事例
(同社では現在、工場用だけでなくガーデンテラスのパーテーション用としてビニールカーテンを提案することなども行っている)

「うちは大丈夫」が最も危険……事業承継の見えない爆弾

 ―三代目社長として新規事業を開拓し、業績を上げられている熊谷社長ですが今回、26年1月に「中小ファミリー企業に特化した事業承継コンサルティング」事業を発表されました。なぜ今新たに事業承継コンサルティング、それもファミリー企業に特化したものを始めようと思われたのでしょうか。

「はい。それは私があとを継ぎたくなかった理由で挙げた、我が家の事業承継トラブルに起因します。創業者である祖父熊谷武司から二代目社長の父庸一への代替わりの際に経営権、つまり株式の相続に絡んで家族が分裂してしまいました。父庸一の妹たちと亡くなった武司の妻、つまり私の祖母が、株式を数十倍で買い取るよう言ってきました。この父対叔母・祖母の争いはその後もずっと尾を引き、現在は叔母たちとは絶縁状態になってしまいました。」

 ―まさに「争続」になってしまった。

「この親族同士の争いを、当時10代だった私や私の姉妹も見ていました。それで二度とこのような経験はしたくない、と強く思い続けてきました。それで私が会社を継ぐ際には、会社経営と家のことを分離しつつ事業を相続・継続するためにはどうすればよいかをしっかり準備して進めていきました。トータルで10年以上の期間がかかりましたが、全くもめることなくスムーズに私への事業承継を実現できた」

 ―ご自身の経験を繰り返してはならないという想いから生まれたのですね。

「こうして無事に事業承継を達成できたことは、私たちの取引先や身近な企業の方々にも知れ渡っていたので、『どうやったらそんなに上手くできるの?』と多数のご相談を受けました。私と同世代の経営者はもちろん、まさにこれから事業承継に取り組んでいかなければならない父の世代の経営者の方々からも。そういう相談に応えていく中で、多くの皆さんが本当にこの問題について苦労されているのだなと改めて実感したのです」

 ―そういう問題意識があったから、「ファミリー企業に特化した事業承継コンサルティング」という発想に思い至った。

「一般的な認識では事業承継の問題は、『後継者がいない』から発生する問題だと思われがちです。確かに後継者の不在についてはメディアでもよく取り上げられていて、馴染みが深い」

 ―確かに後継者不在の問題は私も幾度も取材してきました。

「日本のおよそ5割の企業は後継者不在の問題を抱えている、と言われています。しかし逆にいえばもう半分の企業には後継者がいるわけです。そしてそのほとんどは弊社と同じような一族経営のファミリー企業です。ではその後継者がいるファミリー企業には承継の問題が無いのか、というとそうではない。

 ファミリー企業の6割はなんらかの問題を抱えています。この問題を解決するための支援を私はしたい。後継者不在の会社にM&Aなどの方法で後継者を見つけることは大いに社会貢献になるでしょう。しかし後継者がいる会社の問題を少なくすることも充分に意義のある事業だと考えています」

 ―後継者がいれば基本的には問題ない、という社会認識がある中で、実はそうではないと。

「はい。また後継者がいない会社の多くは業績不振に陥っています。『そんな会社を自分の子供に継がせたくはない、だから自分の代で畳む』と考えている。対して後継者がいる会社はほとんどが事業としてはある程度成功している。そういった会社が長く続いていくことは日本にとって大きな経済的なメリットがあると考えています」

 ―どういった会社が事業承継トラブルを生み出しやすいのでしょうか?

「どこの会社にでも生まれ得ると思います。どれだけ仲がいいご家族でも相続問題になった瞬間に対立が始まる。お金の問題はビックリするくらいもめるんです。それがなまじ金額規模が大きく、現金化できない株式であればなおさらです。また相続について話し合う時には直接の血縁関係にはない配偶者も加わってきます。うちもそうでしたが、配偶者たちは血の繋がりがないからこそ、余計にヒートアップする。親子や兄弟だとなあなあにして許してしまう部分も、配偶者が焚きつけると一気に拗れます。

 ―「うちは仲がいい家族だから大丈夫」と言っているところでも、いざ相続の場面になると豹変してしまうわけですね。

「仲が良いから」と皆さんおっしゃるのですが、その認識でなぁなぁにしておくことが最も危険です。どれだけ争うことになる、と説明してもなんとなく皆さん、「うちは大丈夫だから」という感覚から抜けられない。

 事業承継には会社の事業と、家族、そして株式などオーナーシップの問題が複雑に絡み合っています。それらを一つ一つきちんと整理していかなければ上手く事業承継することはできません。ですが、潜んでいるそれらの問題点を洗い出し、解決していく具体的なプロセスを理解している経営者はどれほどいるのでしょうか。

 『うちは大丈夫』と言われる方は創業者の方が多いですね。この方たちはそもそも事業承継を経験したことがありません。だから実際どれだけ困難かを理解していませんし、私が尋ねても『うちの家族は大丈夫、ちゃんと話しているそのうちなんとかなる』という程度の認識でしかない」

 ―「ちゃんと話している」と言われても、聞いた側がそう受け取っているとは限らない。

「全くそうで、何かふとしたついでに『お前がやるんだからな』的なニュアンスでポロっと言っただけなのに、それが『ちゃんと話している』になっていたりする。

 また、創業者はカリスマ性が高い方が多いですから、周囲の人はほとんど言うことに従ってくれます。しかしその後継者はカリスマでもなければ何でもない、ただの『あと継ぎ』です。だから創業者には向けられていた求心力や敬意を持たないまま社長になる。そうなると、それまで隠れていた不満が一気に噴出して大きなぶつかり合いに発展していくのです」

 

承継リテラシーの重要性……その油断が会社を壊す

 ―今後の展開についてお聞きします。

「ファミリー企業の後継者の方や、これから事業承継を行わなければならない経営者の方々のリテラシーを高めていきたい。大体の方がもめないと思い込んでいますから、もめることを想定した準備をしてください、と強く伝えていかなければならない。それを切実に感じています。良い会社が長く存続していくための役に立ちたいのです。今後もセミナーや出版、コンサルティングを通してリテラシー向上を目指し、お客様を増やしていかなければならないと使命感を持っています」

 ―本日は様々な問題点を提示していただけるお話を伺いました。ありがとうございました。

石塚株式会社代表取締役社長熊谷弘司
石塚株式会社代表取締役社長熊谷弘司

※今回、熊谷社長のご厚意から、事業承継コンサルティングを無料で提供していただけることになりました。本記事をお読みになった方から先着で10名様限定となります。石塚株式会社お問い合わせフォームからお問い合わせください。

石塚株式会社
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所在地    〒101-0024 東京都千代⽥区神⽥和泉町2番地-29
連絡先    営業本部 TEL:03-3866-8201 FAX:03-3862-2809

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ライター:

1980年千葉県生まれ 筑波大学大学院博士課程中退(台湾留学経験有り)。専門は中国近代政治外交史。その他、F1、アイドル、プロレス、ガンダムなどのジャンルに幅広く執筆。特にガンダムに関しては『機動戦士Vガンダム』blu-ray Box封入ブックレットのキャラクター・メカニック設定解説を執筆(藤津亮太氏と共著)。

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