
山形県鶴岡市に本社を構える株式会社サンテックは、半導体製造装置や電子顕微鏡、航空機、各種分析機器の精密部品加工とユニット組立を手がけるモノづくり企業だ。高真空用途の中型から大型部品加工に強みを持ち、試作から量産まで対応。繰り返し精度保証を徹底し、グローバルトップ企業のTier1サプライヤーとして確かな地位を築いてきた。
経営理念の中心にある「人」への信念

同社の代表取締役社長・楯岡学氏は、2001年にみずほフィナンシャルグループに入社し、国内ではコンサルティング、海外では外資系企業取引開拓、海外金融機関との連携推進などに従事してきた。経済の最前線で企業の強みを見極めてきた経験から、「企業を動かすのは数字ではなく人」との確信を得たという。 「人は『人材』であり、教育と環境によって『人財』にも『人罪』にもなり得る。まず問うべきは、人としてどうかだ」と楯岡氏。2024年には自らの考えをまとめた「サンテック7訓」を制定し、社員が朝礼で読み上げる習慣を導入。モノを作る前に人をつくる――その思想を会社の中心に据えた。
銀行員から経営者へ、転機となった「利他の精神」

楯岡氏のキャリア転換には、銀行時代に培った「利他の精神」が深く関わっている。
支店支援部門で大型輸入融資を担当した際、他行が及び腰になる中で、彼は顧客企業の実態を自ら現場で調査し、リスクを最小化して融資を実現した。手数料などの見返りを求めないその行動が、後に顧客からの助言や新たな視野の獲得という形で自らに返ってきたという。
「情けは人のためならず。お客様に無償で挑戦したことが、自分の財産になった。この経験が今も私の原点です」 欧州駐在中は現地の文化を吸収し、ワインや美術を学んだ。外資系顧客との商談でその教養が生きた場面もある。「人としての厚みを増すことが、信頼される経営にもつながる」と語る。
ベトナム展開と「100億宣言」
サンテックは、1988年に東京・青梅市の株式会社指田製作所の子会社として設立された。創業者が地元・鶴岡での雇用を守るために設立した経緯を持ち、今もその理念を受け継ぐ。
楯岡氏の就任後、同社は21年・22年に経産省の大型補助金を連続採択し、工場の増設・設備強化を進めた。23年にはベトナム工場を設立し、アジアサプライチェーン補助金を活用。現在は国内外で5拠点体制を築き、従業員数を倍増、売上は2.5倍に拡大した。 「2025年には『100億宣言』を掲げ、長期経営計画に基づく挑戦を本格化しています。極限まで自動化を進めながら、匠の技を次世代に伝えるハイブリッドな製造体制を目指しています」
高度外国人材の受け入れと「日本人化」戦略

少子高齢化が進む日本において、楯岡氏は「優秀な海外人材を日本人化する」ことを提唱する。
「ベトナムなどアジアの若手人材を10〜15年単位で育て、日本を好きになって頂き 、日本人として生きていけるようにすること。熱量と向上心のある彼らを育てることで、日本のモノづくりは持続的に強くなれる」
同社ではベトナム子会社のネットワークを活かしベトナムの工業大学の学生とも交流を持ちつつ、国内では経産省の推進する「高度人材インターンシップ」でアジア圏の若者を積極的に受け入れている。冬季はタクシー送迎を用意し、外国人社員寮も完備。製造技術・営業スキル・外国語を兼ね備えた「ハイブリッド型人材」の育成を推進している。
「円の価値が下がり続ける中、ドルやユーロ建ての取引を増やすことで、社員の実質賃金を上げていきたい。為替変動を逆手に取る発想で、海外企業との取引拡大を進めています」
地方創生の現場から
鶴岡に根ざす企業として、サンテックは「地域から応援される会社」を掲げる。子ども食堂への寄付や地元工業高校への寄付講座を既に展開。次のステップとして体験型学習の提供、保育園や小学校への教材寄贈など、教育格差の是正にも力を入れて行く予定だ。
「地方創生を掛け声で終わらせず、従業員とその家族の生活を豊かにする。眼前の人々のQOLを高めることこそが、真の地方創生です」
楯岡氏が目指すのは、モノづくりを通じた“人づくり”による地域と世界の橋渡しだ。鶴岡発の精密技術が、いまアジアを駆け、日本の製造業の未来を照らしている。



