
長崎県・対馬の和多都美神社が「観光目的の参入を全てお断り」との声明を発表した。背景には繰り返される不敬行為がある。
観光客の立ち入りを全面禁止へ 神社が不敬行為に異例対応
長崎県対馬市にある和多都美神社は2025年3月23日、観光目的での参入を一切禁じる方針をSNS上で公表した。声明によれば、今後は氏子や崇敬者以外の境内立ち入りを認めず、海中鳥居を含む全建造物での写真・動画撮影、ライブ配信なども全面的に禁止する。
この措置の直接のきっかけとなったのは、前日の3月22日(土)16時頃に発生した外国人観光客による重大な不敬行為である。神社が投稿した内容によると、境内で神職を嘲笑しながら挑発的な言動を繰り返したほか、神域を尊重しない形での立ち入りがあり、注意した職員に対して暴言を浴びせた上、暴力に至る場面もあったという。
神社はこの件について「極めて重大かつ許されない不敬行為」と断じた上で、事件後も関係当局に相談したが即時の解決にはつながらなかったと説明している。職員らの精神的苦痛は限界に達し、「神社運営の危機を感じざるを得ない」との言葉に今回の判断の切実さが表れている。
外国人観光客による迷惑行為が常態化 繰り返される文化的衝突
和多都美神社の事例は特殊ではない。全国各地の神社や寺院でも、外国人観光客による信仰空間の軽視やマナー違反が問題視されている。
たとえば京都の伏見稲荷大社では、2024年3月、鳥居に登ったり、立入禁止の場所に入り込んだりする外国人観光客の行為が問題となり、地元住民や関係者が懸念を表明した。神社側は啓発や監視体制の強化を進めているが、SNS映えを目的とした軽率な行動が続いている。
こうした全国的な傾向は、信仰の場が観光スポットとして消費される構造的な問題を浮き彫りにしており、和多都美神社のように踏み込んだ対応を取るかどうかは、各地の宗教施設にとって避けて通れない課題となっている。
和多都美神社はこれまでも、訪問者によるマナー違反や不敬行為にたびたび悩まされてきた。特に新型コロナ禍の収束以降、近隣の韓国からの訪問者が急増するなか、一部の観光客によるポイ捨て、唾の吐き捨て、立入禁止区域への自転車の乗り入れ、さらには境内での排泄行為などが確認されていた。
こうした行為に対し、神社側は2024年に一時「韓国人出入り禁止」の方針を掲げたものの、表現の過激さが問題視され、のちに撤回していた。しかしながら、その後も迷惑行為は続き、今回の「観光目的での参入すべてお断り」に至った形である。神社は声明の中で、「文化の崩壊にほかならない」との危機感をにじませている。
和多都美神社とは 海と神話が交差する対馬の聖地
和多都美神社は、対馬・浅茅(あそう)湾の穏やかな岸辺に鎮座する古社である。御祭神は、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)と豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)。特に豊玉姫命は龍宮伝説でも知られ、海との関わりが深い神とされている。
社殿の前には5基の鳥居が立ち並び、1番目と2番目の鳥居は海中に設けられている。満潮時にはその基部が水没し、まるで社殿が海に浮かんでいるかのような幻想的な景観を見せる。かつては海を通って船で参拝するのが一般的だったと伝わっており、現在も神聖な「海の参道」として親しまれている。
また、『延喜式神名帳』にも記載があることから、平安時代からの長い歴史と格式を有する神社である。縁結び、子宝、そして海上安全の御利益があるとされ、参拝者の心のよりどころとして崇敬を集めてきた。
SNS上で意見が割れる 文化保護か観光排除か
神社の発表後、SNS上では賛否が交錯した。擁護の声としては、「神聖な場所を守るためには当然の対応」「信仰と文化をこれ以上壊させてはならない」といった意見がある。一方で、「マナーを守る観光客まで一律に排除するのは行き過ぎ」「文化財を閉ざすことで地域経済に打撃が出るのでは」とする批判的な見解も寄せられた。
中には「神社を敬って訪れていた者として残念」とする外国人の声もあり、善意の訪問者も含めた排除措置として波紋が広がっている。観光地としての顔を持ちながら、信仰の場としての静謐をどう守るか。難しい問いが突きつけられている。
参拝できるのは「崇敬者」のみ 神社が示した新たな線引き
和多都美神社は、立ち入りを許可する「崇敬者」の定義についても明示している。「神様に対する尊崇、崇敬の念をもってきちんとお参りしてくれる人」とし、「写真映えやテーマパーク的な目的で訪れる者は崇敬者ではない」としている。
今回の措置は、信仰の場としての原点に立ち返ると同時に、文化財が「観光資源」として消費されることへの警鐘とも受け取れる。神社は、商業主義に偏る観光のあり方に対して、静かに「NO」を突きつけたとも言える。
信仰と観光の共存に向けて 社会全体に問われる責任
今回の和多都美神社の決断は、観光と文化のバランスに悩む地方の現場を象徴している。地域経済への貢献と、精神的文化財としての保護――その両立は簡単ではない。今後は、来訪者への啓発、ガイド体制の強化、多言語による案内の整備といった「迎える準備」の在り方が問われるだろう。
神社が発した「文化の崩壊」という言葉は、単なる苦情ではない。訪問者にとっても、自らのふるまいと向き合う契機として受け止めるべき重みを持っている。信仰と観光の共存は、当事者だけではなく、社会全体が成熟を求められる課題である。