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みのもんたさんを偲んで タレントと水道メーターのニッコク経営者の二つの顔 豪快な逸話と魅力

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みのもんたさんニッコク
ニッコクHPより

フリーアナウンサーでタレントのみのもんたさん(本名・御法川法男)が亡くなったことが分かった。東京都出身で、昨年80歳の傘寿を迎えたばかりだった。

1967年に文化放送に入社し、アナウンサーとして活躍した後、フリーに転身。情報番組『朝ズバッ!』(TBS系)や『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)などで長年司会を務め、テレビ界の顔となった。2006年には「1週間で最も多く生番組に出演した司会者」としてギネス世界記録にも認定されている。

 

豪快な酒豪伝説と「ありがてえ」の精神

みのもんたさんといえば、豪放磊落な性格と酒豪としての逸話が数多く語り継がれている。文化放送時代の後輩アナウンサー・梶原しげる氏は、「一晩に4、5軒の店を回り、最後は運転手の待つ車の中で脱力する」という豪快な飲みっぷりを証言している。席に着くとすぐに酒をあおり、軽妙なトークを繰り広げたかと思うと、突然「じゃあ」と立ち上がり、次の店へ向かう。そのスピード感とエネルギーに、周囲はただ圧倒されたという。

また、酔いが回るとさらに気分が高まり、梶原氏とともに裸になってしまうこともあった。宴席では周囲を笑わせ、場を盛り上げることに徹し、「飲み会の王」と称されることもあった。

しかし、こうした豪快な一面の裏には、苦労人としての素顔があった。文化放送のアナウンサーとして人気を博していたものの、ある日突然、営業部へ異動を命じられた。不本意ながらも会社の方針に従っていたが、35歳の時、ついに退職を決意しフリーとなる。しかし、独立後の生活は厳しく、住宅ローンの支払いにも苦しむ日々が続いた。

そんな折、父・御法川正男氏が「うちの会社で働かないか」と誘った。みのもんたさんは、父が経営する水道メーター製造会社・ニッコクで営業マンとして再出発することを決意。役所や水道局への飛び込み営業に励む日々が始まった。

和歌山県新宮市での営業帰り、父とともに訪れた小さな赤提灯の居酒屋。親子で盃を交わしながら、正男氏はポツリと「こんなにありがてえことはないじゃないか」と呟いた。その言葉は、みのもんたさんにとって人生の指針となった。

 

もうひとつの顔:水道メーターのニッコク社長として

みのもんたさんは、タレント活動の傍ら、家業である水道メーター製造販売会社・ニッコクの経営者としても活躍した。1999年には父の経営していた「日国工業」と自身の事務所「オフィスモンタ」を合併し、現社名に変更。2020年には会長に退き、後任の岸本英二社長に経営を引き継いだ。

ニッコクは、戦前に創業し、戦後は全国の水道メーター市場を開拓。1980年代には高感度メーターの開発に成功し、全国に営業拠点を拡大した。現在も業界での地位を確立しているが、過去には談合問題で公正取引委員会からの排除勧告を受けるなどの不祥事も経験している。

2025年現在、ニッコクの社員数は厚生年金適用事業所システムを見るに、約92名とされている。主に水道メーターの製造・販売を中心に事業を展開しており、近年はスマートメーターの開発にも注力しているようだ。

 

みのもんたの魅力

みのもんたさんの最大の魅力は、その独特の話術と人を引き込む存在感にあった。彼の声には重厚感とリズムがあり、視聴者を飽きさせないトーク力があった。ニュース番組では硬派なコメントを発しながらも、ワイドショーでは軽妙な語り口で番組を回す柔軟性も持ち合わせていた。

さらに、親しみやすいキャラクターも人気の理由だった。時には視聴者や共演者と冗談を交わしながらも、核心を突く発言を忘れない。その豪快な笑い方と歯に衣着せぬ物言いは、多くのファンを魅了した。

また、彼の生き方には「努力と根性」の精神が詰まっていた。フリー転身後に仕事がなくなり、家業であるニッコクで営業マンとして再出発した経験も、その後の彼の発言や姿勢に影響を与えた。逆境にも負けず、どんな状況でも前向きに生きる姿が、人々の共感を呼んだ。

みのもんたさんの遺したもの

テレビ界、そして経済界で異なる二つの顔を持ち、豪快かつ繊細な生き様を貫いたみのもんたさん。その功績は、視聴者の記憶と共に、長く語り継がれていくだろう。

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寒天 かんたろう

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ライター歴25年。月刊誌記者を経て独立。伝統的な日本型企業の経営や大学、高校、通信教育分野などの取材経験が豊富。

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