旅行大手HISが、新型コロナ禍で受給した雇用調整助成金の一部について不適切な受給があったとして、約62億円を自主返還することを発表した。
この問題では、同社の連結子会社における不正受給も判明しており、社会的な批判が強まっている。
厚生労働省が厳格な注意喚起を行う中、企業ガバナンスの課題や再発防止策が問われている。
HISの不適切受給の経緯
エイチ・アイ・エス(HIS)は、2020年3月から2022年12月の期間に受給した雇用調整助成金約242億円のうち、約62億円が不適切な申請に基づいて受給されたことを認めた。同社によれば、受給対象とした休業日に従業員が自宅から業務用のメールを送信するなどの行為があり、これは助成金の受給条件を満たしていなかったという。
HISは2024年4月、会計監査人から不適切受給に関する情報提供を受け、内部調査を開始した。この調査では、休業日とされた日の約2割強で従業員の就業実態が確認されたことが判明した。メール送信などの短時間の作業も就労とみなされる助成金制度の仕組みを、同社が十分に理解していなかったことが問題の一因とされている。
矢田素史社長は1月27日の記者会見で「助成金制度への理解不足と労務管理の甘さが原因だった」と謝罪し、対象分の全額返還を決定したことを明らかにした。同社は2025年1月22日付で東京労働局から返還通知を受け取っており、速やかに対応するとしている。
子会社での不正受給も判明
さらに問題を深刻化させたのは、連結子会社「ナンバーワントラベル渋谷」における不正受給の発覚である。同子会社は、2020年3月から2023年3月にかけて就労日を「休業日」として虚偽申請を行い、約1億円の雇用調整助成金を不正に受給していた。これに対し、違約金を含む約1.3億円の返還が命じられている。
この不正受給は、2024年4月に東京労働局の無作為調査で発覚した。同社の代表取締役社長であったRANJAN KUMAR DASDEB氏は辞任勧告を受け、2024年12月付で辞任。同社の経営体制にも批判が集まっている。
HISは連結子会社全体を対象にさらなる調査を進めており、その他の不適切申請の有無についても確認を行っている。矢田社長は「再発防止策の徹底とガバナンス強化に取り組む」と表明したが、信頼回復への道のりは険しい。
不適切受給の背景と原因
HISの雇用調整助成金不適切受給問題の背景には、新型コロナウイルス禍がもたらした深刻な経営上の危機があった。2020年から続くコロナ禍により、旅行業界全体が未曾有の打撃を受け、HISもその例外ではなかった。主力である海外旅行事業が各国での入国制限や渡航規制の影響でほぼ停止状態となり、業績は急激に悪化。2020年10月期には、売上高が前年同期比46.8%減の約4302億円、純利益に至っては約250億円の赤字へと転落した。これは同社が2002年に上場して以来、初めての純利益の赤字だった。
こうした状況下で、企業としての生き残りをかけたコスト削減や経営資源の再配置が急務となった。その一環として雇用調整助成金が積極的に活用されたが、制度の理解不足や管理体制の甘さが重なり、不適切受給の温床になったとみられる。同社の内部調査では、助成金受給対象とした「休業日」にもかかわらず、従業員がメール送信やシステム操作といった業務を行っていた日が約2割に上ることが確認された。
また、特別調査委員会による調査報告では、現場の従業員が「メール1通や短時間の操作は業務に該当しない」と判断していたケースが多かったことが指摘されている。当時の厳しい経済状況の中で、顧客対応を優先する意識が強まり、結果的に労務管理が徹底されなかったことが不適切受給の背景にあると分析されている。
こうした事態に対し、矢田社長は記者会見で「休業日と就労日の管理が徹底されていなかったことが最大の問題点」と述べた。さらに、同社は今後の再発防止のため、労務管理体制の強化とともに、助成金制度に対する理解を深める社内教育の充実を図るとしている。
厚生労働省の対応と注意喚起
HISの雇用調整助成金不適切受給問題が明らかになった背景には、厚生労働省が助成金不正受給に対して厳格な調査と注意喚起を行っていることがある。同省は雇用調整助成金について、故意に虚偽の申請を行った場合、不正受給とみなし、受給額に加えて違約金や延滞金を加算して返還を命じるなど、厳しい措置を講じている。また、一定の条件を満たした場合には、事業主名を公表する方針も採用しており、全国的に積極的な調査を進めている。
このように厚生労働省は、不適切な助成金の受給が助成制度全体の信用を揺るがす可能性を指摘し、事業者に対して自主的な調査と適正な申請を求めている。仮に不正や不適切な申請が発覚した場合、速やかに自主申告し全額返還するよう呼びかけている。
今回のHISの事例に対しては、SNSなどでも厳しい意見が寄せられている。「返金だけでは済まされない」「中小企業にはわずかな不備でも厳しい処分が行われる中、大手企業の不祥事に甘い対応は不公平だ」といった声が多く見られる。また、「助成金は本来、コロナ禍で困難に直面した労働者を守るための制度だ。不正利用が制度の信頼性を損なう」といった批判もあり、制度の悪用に対する国民の厳しい目が注がれている。
HISが今回の問題に対し、自主返還の意向を示した点については評価する声も一部で見られる。しかし、特に連結子会社「ナンバーワントラベル渋谷」による虚偽申請は悪質性が高く、違約金の追加や延滞金の発生も含めた厳しい対応が求められている。厚生労働省は、同社を含めた連結子会社全体に対する調査を引き続き進める方針である。
今回の事例をきっかけに、多くの企業が助成金制度の適正利用の重要性を再認識することが求められている。
再発防止策と今後の展望
HISは今回の不適切受給問題を受け、再発防止に向けた体制整備とガバナンス強化を表明している。特に、労務管理の徹底と助成金制度への理解向上を目的とした社内教育の充実を進めることを強調した。
矢田素史社長は記者会見で、「今回の結果から管理体制が甘かったと言わざるを得ない。特別調査委員会の最終報告を受け、より強力なガバナンス体制とコンプライアンス遵守の指導を進めていく」と述べた。
また、同社は連結子会社を含むグループ全体の雇用調整助成金受給状況の精査を継続しており、その結果に基づいて必要な対応を講じる方針である。一方で、2024年10月期の決算発表の延期を余儀なくされており、今回の問題が業績や株主に与える影響も注目される。矢田社長は「信頼回復には時間がかかるが、再発防止策の徹底を通じて企業としての責任を果たしたい」との決意を示した。
しかし、再発防止策の成否は、実効性のあるガバナンスの確立にかかっている。HISは2021年、連結子会社2社によるGoToトラベル事業の不正受給が発覚し、その際も再発防止策を実施していた。しかし今回の事態から、過去の対策が十分に機能していなかったことが浮き彫りになった。SNSでは「再発防止策が機能しなかった背景についても説明すべきだ」との声が上がっており、企業としての説明責任が引き続き問われている。
さらに、厚生労働省が不正受給に対する厳格な姿勢を示していることからも、HISだけでなく、他の企業においても助成金制度の適切な利用が求められる。コロナ禍という未曾有の危機に直面した中で、多くの企業が助成金に支えられた一方で、その制度の透明性と信頼性維持が不可欠である。HISの対応が助成金制度全体の運用のあり方に与える影響も注視される。
今回の問題を教訓とし、HISが真に信頼を回復するためには、形だけの再発防止策ではなく、企業文化やガバナンス意識そのものを根本的に見直す必要があるだろう。
【参照】
・雇用調整助成金 不正受給及び自主申告について(厚生労働省)
・当社における雇用調整助成金等の受給に関する自主返還のお知らせ(HIS)
・【補足資料】 当社および当社連結子会社の受給した雇用調整助成金に関する会見(2025年1月27日)(HIS)