
イタリア北部リビーニョ。夜明け前の空気は鋭く、白いハーフパイプの縁に立つ選手たちの吐息が、ゆっくりと溶けていく。ミラノ・コルティナ五輪スノーボード男子ハーフパイプ予選。スタート地点に姿を現したのは、前回北京大会金メダリストの平野歩夢だった。
右骨盤など複数箇所の骨折。負傷からわずか25日。
「何とかここに立ててる状態」。そう語り、静かにドロップインした。
痛みと向き合った“意地の2本”
1本目から攻めた。高さのあるエアで会場を沸かせ、2度の4回転を成功。83.00点で暫定8位につける。だが、予選は80点後半から90点台が乱れ飛ぶ異例のハイレベル。通過ラインは決して安泰ではなかった。
迎えた2本目。ダブルコーク1440、バックサイド1260を成功させ、終盤まで難度を落とさない。着地の瞬間、観客席から大きな拍手が起きた。85.50点。7位で決勝進出を決めた。
演技後、平野は言葉を選びながら語った。
「すごいギリギリの状態での予選だった。痛みも覚悟しながら、体とも戦い、自分とも戦った」
1月のW杯スイス大会での激しい転倒。松葉づえ生活、車いす移動。トイレに行くにも時間がかかったという。それでも「戻れる可能性が1%でもあるなら滑りたい」と決断し、帰国後は懸命なリハビリを続けた。
その25日間が、この85.50点に凝縮されている。
海外メディアも称賛「戦う王者」
2本目を滑り終えた直後、スタンドからは自然発生的にスタンディングオベーションが広がった。得点発表前から拍手が止まらない。観客は“順位”ではなく“覚悟”を見ていた。
欧州スポーツメディアは「The Warrior King returns(戦う王者が戻った)」と速報。米専門誌も「生還ではなく、宣言だ」と評した。技術だけでなく、精神力に焦点を当てる論調が目立つ。
予選トップのスコッティ・ジェームズも「彼がここにいること自体が驚きだ。決勝では最大の脅威になる」と語った。
会場にはかつての絶対王者ショーン・ホワイトの姿もあり、演技後に握手を交わす様子が観客の視線を集めた。
平野の滑りは、単なる復帰戦ではない。王者としての存在証明だった。
日本勢4人全員決勝へ 層の厚さ示す
今大会、日本勢は圧倒的な存在感を示した。
2位は戸塚優斗。トリプルコーク1440を決め91.25点。
3位は19歳の山田琉聖が90.25点。高さと独創性で会場を沸かせた。
5位には平野流佳が87.50点。
4人全員が上位12人に入り決勝進出。これは偶然ではない。長年の育成体制と技術革新が結実した結果だ。日本ハーフパイプ界は今、黄金期を迎えている。
専門医が見る“25日復帰”の異例さ
整形外科医によれば、一般的な骨盤骨折の回復目安は3カ月から半年。骨盤は体幹の中心で、着地時には体重の数倍の衝撃が加わる。ハーフパイプは特に負荷が大きい競技だ。
「25日で五輪レベルの滑走は極めて例外的」と専門家は指摘する。筋力低下や可動域制限が残る中での完遂は、徹底したリハビリと高度なコンディショニングの賜物だという。
一方で、決勝ではさらに難度を上げる可能性もある。攻めれば衝撃は増す。守れば得点は伸びない。身体との対話が、勝負を分ける。
連覇への覚悟
平野はソチで史上最年少メダル、平昌で銀、北京で金。五輪とともに歩んできた。
「決勝で、自分のベストを悔いなくやり切るのみ」
その言葉に迷いはない。
連覇か、新王者誕生か。日本勢同士の頂上決戦か。あるいはスコッティ・ジェームズが立ちはだかるのか。
決勝は日本時間14日。
白いパイプの頂点で描かれる放物線は、単なる得点争いではない。痛みと覚悟を抱えた王者の挑戦が、再び世界を震わせる瞬間になる。



