
白い額縁を両手で掲げ、わずかに唇を引き結ぶ。2019年4月1日午前11時41分、官房長官室で発表された新元号「令和」。その映像は瞬く間に全国へ広がり、菅義偉は「令和おじさん」として国民的存在となった。
あれから6年。霞が関を掌握した“恐怖の官房長官”は、77歳で政界を去る。引退表明に至るまでの軌跡を、エピソードとともにたどる。
「令和」発表、その直前にあった緊張
元号発表当日、官邸内は異様な緊張感に包まれていた。情報漏洩は国家的失態につながる。菅氏は直前まで元号案を誰にも明かさず、移動の際も徹底した警戒態勢を敷いたとされる。
額縁を掲げた瞬間、カメラのシャッター音が一斉に鳴る。だが菅氏は微動だにせず、視線を前に固定したまま「令和」と読み上げた。その所作は、後に「無駄のない仕事人」「感情を排した官房長官像」として語り継がれることになる。
なぜ「令和おじさん」は菅だったのか
元号発表は慣例として官房長官の役割だが、そこに個性が刻まれることは稀だ。
それでも菅氏の姿が強烈な印象を残したのは、背景にある政治人生との対比だった。秋田の農家に生まれ、地縁も血縁もない横浜で政治の世界に飛び込み、叩き上げで頂点に立った男。その無骨さと実直さが、一枚の紙とともに象徴化された瞬間だった。
霞が関を支配した「恐怖の官房長官」
第2次安倍政権で官房長官を務めた約7年8か月。安倍晋三氏の背後で、菅氏は内閣人事局を通じて官僚人事を掌握した。
霞が関では「菅案件」という言葉が飛び交い、意に沿わぬ官僚は更迭される。自民党関係者は「本当に怖かったのは菅さん。安倍さんは最後に妥協するが、菅さんは最後まで引かない」と語る。
首相就任と、短命に終わった現実
2020年9月、安倍氏の辞任を受けて首相に就任。だが菅政権の在任期間は384日だった。
新型コロナウイルス対応に追われ、感染拡大と支持率低下が同時に進行。ワクチンの1日100万回接種という目標を掲げ、実行に移したが、政権運営は次第に立ち行かなくなった。
永田町では「安倍政権には菅義偉がいたが、菅政権には菅義偉がいなかった」と皮肉交じりに語られた。
健康不安説と「反応がない」という証言
首相退任後も影響力を保とうとしたが、近年は体調を不安視する声が相次いだ。街頭演説で言葉が詰まり、動きが鈍る姿が報じられ、永田町では「話しかけても反応が乏しい」との証言も出た。
病名は公表されていないが、こうした状況が引退判断を後押ししたとみられる。
「ゼロからでも首相になれる」最後に残した言葉
引退会見で菅氏は、現職議員に向けてこう語った。「国民のための政治を形にする。できないなら、理由を説明する」。
スポニチアネックスによると、菅氏は「ゼロからの出発でも首相になれる」とも述べたという。その言葉は、令和の始まりを告げた官房長官の姿と重なり、政治家人生の総括として静かに響いた。



