
お笑いライブに通う女性の体験談がXで拡散。「テニサーにテニスしに来た」という比喩が、芸人とファンの“繋がり文化”への問題提起として注目を集めている。
「周りの女は芸人に抱かれに行ってた」投稿が拡散
X(旧Twitter)に投稿された、あるユーザーのエピソードが大きな共感と議論を呼んでいる。
「お笑い好きの女友達が熱心にライブに足繁く通っててそこでたくさん友達作ったけど、気づいたら周りの女みんな芸人に抱かれに行ってて真面目にお笑い見に行ってたの自分だけだったらしく『私だけテニサーにテニスしに来てバカみたい』って泣きそうになりながら話してたの思い出した。かっこいい。」
この投稿は、多くの共感を得て拡散された。
それと同時に、これはお笑い業界に根付く「繋がり文化」への問題提起にもなった。
「テニサーにテニスしに来て…」が示す温度差
大学のテニスサークルは、本来はスポーツを楽しむ場だが、現実には飲み会や合宿、恋愛関係が中心になる団体も少なくない。そうした環境で「純粋にテニスをしたい人」は、時に浮いた存在になってしまう。
今回の投稿の比喩が示すのは、色恋や人間関係目的の空間に、純粋な目的で参加してしまった人の孤独である。
投稿の中の女性は、芸人と繋がるためではなく、お笑いを作品として真剣に楽しんでいた。しかし彼女の周囲は、芸人との距離の近さや私的な関係を目的にしていた。その温度差に、彼女は傷ついたのだ。
「お笑いファン=繋がり目的」への反発も
一方で、この投稿には否定的な声も上がった。
「自分もお笑いが好きで劇場に通っているが、全員が繋がり目的みたいに見られるのは不快」
「普通にネタを観に行っている人が多数派だと思う」
実際、お笑いライブの客層は老若男女幅広く、純粋にネタを楽しむ観客が大多数であると考えられる。今回の投稿はある一部の界隈に限った話であり、それが全体像ではないことも事実だ。
それでも、この話がここまで共感を集めたのは、多くの人が似た空気をどこかで感じ取っていたからではないだろうか。
「女遊びは芸の肥やし」という業界体質 カキタレはまだ存在するのか
芸事の世界には、長らく「女遊びは芸の肥やし」という価値観が存在してきた。
特に芸人は、若手時代は収入も不安定で、酒と女とネタ作りに明け暮れる、そんな武勇伝が美談として語られる文化が、業界内には確かにあった。
筆者がルミネtheよしもとのお笑いライブへ行っていた平成中期には、
「ファンレターにプリクラと連絡先を入れれば芸人と繋がれる」
「楽屋口で待てば連絡先交換は当たり前」
といった噂も広く流れていた。
この令和の時代に下品な表現をお許しいただきたいのだが、当時使われていた俗語に「カキタレ」という言葉がある。「カキ」は性行為、「タレ」は女性(タレントの意味で使われる場合もあり)、要するに性行為要員の女性ということだ。芸人も女性も、割り切った関係であることを理解した上で、交流を楽しんでいる界隈があったそうだ。
現在もこの言葉が使われているのかは不明だが、ファンと芸人の力関係の歪さを象徴する言葉でもあった。
令和でも消えない、芸人との距離の近さ
近年は、芸能界全体で性加害・ハラスメント問題への意識が高まり、また暴露リスクやSNS拡散の影響もあり、露骨な関係性は減ってきているとされる。
しかし一方で、
・上下関係のある立場
・知名度の差
・「特別扱いされたい」という心理
が絡む関係性は、今なお完全には消えていないとも言われている。
本人同士が納得している関係であれば問題はない、という考え方もある。だが、知らぬ間に感情や立場を利用される形での関係は、決して健全とは言えない。
「繋がり」は自由か、それとも搾取か
繋がること自体が悪なのではない。
だが問題は、その関係が対等かどうかだ。
・断りにくい空気
・期待を持たせる言動
・曖昧な立場のまま関係を続ける構図
こうした要素が絡むと、それは自由恋愛ではなく、搾取に近づく。
今回の投稿が多くの人の胸を打ったのは、彼女は何も間違っていないからだ。
純粋にお笑いを愛し、舞台を観に行き、芸を評価していた。
それだけのことが、なぜ「バカみたい」に感じさせられなければならないのか。
予期せぬ性被害・搾取から身を守るために
芸能ファンであることは、決して恥ずかしいことではない。
誰かの表現を愛し、支えることは、尊い行為だ。
だからこそ、
・違和感を覚えたら距離を取る
・曖昧な関係性に流されない
・「特別扱い」に過度な期待を持たない
・信頼できる第三者に相談する
こうした意識が、自分を守る力になる。
「テニサーにテニスしに来た」彼女は、負けたのではない。むしろ、最も誇らしい姿勢でその場所に立っていた。
人を笑顔にするための「お笑い」の場で泣く人がいないように、今後も健全な場所であることを切に願う。



