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グラドル阿波みなみ握手会が「並び0人」で中止。マルハン八千代の悲劇はなぜ?広告規制が招いた「インプレ重視」の歪み

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グラドル阿波みなみ握手会が「並び0人」で中止。マルハン八千代の悲劇はなぜ?広告規制が招いた「インプレ重視」の歪み
阿波みなみ Instagramより

SNS上に流れてきた「誰もいない握手会会場」の写真は、見る者の同情を誘うには十分すぎるほどに物悲しい。だが、この「失敗」が瞬く間に拡散される光景こそが、現代のエンタメ業界が抱える歪な構造を象徴している。

 

【現場詳細】千葉・マルハン八千代緑が丘店を支配した「絶望の静寂」

師走の喧騒が色濃くなる12月23日。千葉県八千代市のパチンコホール「マルハンメガシティ八千代緑が丘店」の一角には、滑稽なほど長い赤いパーテーションが、主のいない迷路のように横たわっていた。デイリースポーツ等の報道によれば、この日午前10時から来店イベントを行っていたグラビアアイドル・阿波みなみの握手会は、並び人数0人という、表現者として最も残酷な通告を受けて中止となった。午後4時、彼女がSNSに投稿した「【謝罪】」と銘打たれた写真には、幾重にも折り重なる空虚な仕切りの中、たった一人で椅子に座り、呆然と自失する彼女の姿があった。パチスロ機の電子音だけが場違いに響く中、その「静寂」は、磨き上げられたホールの床に鏡のように虚無を映し出していた。

広告規制が生んだ「インプレッション重視」の歪み

なぜ、このような「空振りの舞台」が用意されたのか。その背景には、パチンコ業界を取り巻く「広告宣伝ガイドライン」の厳格化という、極めて業界的な事情が透けて見える。昨今の規制により、ホールはかつてのような「出玉期待度」を直接謳う広告が制限されている。その結果、集客の矛先は「演者の知名度」や「SNSでの話題性」へと極端に傾斜した。本来、来店イベントは店への「実動員」を目的とするものだが、今やネット上での「店名の露出(インプレッション)」を稼ぐための、宣伝コストの付け替えへと形骸化しつつある。つまり、現場に人が来ずとも、SNSでこれほどまでに店名が拡散されれば、ホール側にとっては「失敗に見せかけたプロモーションの成功」という側面さえ孕んでいるのだ。

「やらせ?」「仕込み?」SNSで飛び交う賛否論と「自虐ネタ」への冷徹な視線

 

案の定、SNS上には阿波の投稿に対して、見ていられないほどに痛々しいという同情から、これは高度な炎上商法ではないかという冷笑的な憶測まで、下世話な好奇心が渦巻いている。一方では「切なすぎるが、正直に晒す姿勢に応援したくなった」という称罪の声が上がった。失敗を可視化することで共感を得る、現代的なセルフプロデュースとしては成功と言える。しかし一方で、「自虐ネタも度を越せば単なる寒い演出に成り下がる」という辛辣な指摘も飛ぶ。ファンとの交流という本来の目的が、ネット上での数字稼ぎにすり替わっていることへの不信感が、批判の根底には流れているのだ。

「令和のドラえもん」という逆説的プロデュース。弱さを売る生存戦略

ここで阿波みなみというタレントを掘り下げると、彼女が単なる「悲劇のヒロイン」ではないことが見えてくる。彼女は自らを「令和のドラえもん」と称し、常に「いじられる自分」を武器にしてきた。かつて、昭和や平成のアイドルは完璧な美しさを求められたが、令和のアイコンには「欠陥」や「弱さ」への共感が求められる。ドラえもんがのび太を救う存在なら、彼女は「ファンの庇護欲」を救済する存在ではないか。過去には来店時の「無加工画像」が拡散された際も、それを逆手に取って好感度を上げた。今回の「0人中止」もまた、自身のプライドを削ることで、完成されたグラドルには不可能な「ファンとの共犯関係」を築こうとする、執念の生存戦略に見えてならない。

デジタル上の数万フォロワーと、現場の一人という断絶

今回の騒動で露呈したのは、SNS経済が抱える「数字のバブル」である。阿波みなみはSNS上で18万人を超えるフォロワーを抱えているが、その膨大な数字は、現場に「一人」の人間を運ぶ力さえ持ち合わせていなかった。我々は「いいね」をすることで、そのタレントを応援したと錯覚する「安価な充足感」に浸っていないか。企業やタレントが教訓とすべきは、画面越しの熱狂が、リアルな購買行動や集客とは無関係な「虚像」になり得るという冷徹な事実だ。自虐を武器にする手法は短期的には有効だが、持続的な成長には「電車賃を払ってでも足を運ばせる」本質的な価値の提示が不可欠である。

赤い迷路の先に待つ「実像」の価値

 

今後、阿波みなみに求められるのは、この「0人」という強烈なレッテルをいかにして「満員」へと塗り替えるかの物語だ。今回のバズを一時的な炎上で終わらせるのか、あるいは「あの日誰もいなかった会場」を伝説の始まりにするのか。赤いベルトパーテーションが撤去された後のホールの静けさは、彼女にその覚悟を厳しく問いかけている。四次元ポケットから取り出すべきは、同情を誘うスマホの画面ではなく、現場に人を呼び寄せるタレントとしての真の輝きである。我々は、次に彼女がパイプ椅子から立ち上がった時、その視線の先に何人のファンが立っているのかを、注視し続ける必要がある。

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ライター:

新聞社・雑誌の記者および編集者を経て現在は現在はフリーライターとして、多方面で活動を展開。 新聞社で培った経験をもとに、時事的な記事執筆を得意とし、多様なテーマを深く掘り下げることを得意とする。

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