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卓球W杯で張本智和に飛び交った前代未聞の暴言 日中関係の緊張が露呈した成都大会の深層

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卓球 ワールドカップ2025
テレビ東京 公式サイトより

日中関係が冷え込むなか、中国・成都で開かれた卓球混合団体ワールドカップ(W杯)取材に赴いた元日本代表の水谷隼氏(35)が、会場を包んだ異様な空気を明かした。

観客席からは張本智和選手(21)への罵声が飛び交い、スポーツの領域を越えて政治的感情がむき出しになる場面もあった。国を越えてリスペクトを軸に成立するはずの競技空間で、何が起きていたのか。

中国・成都で露呈した“異様な空気”

今回の混合団体W杯は、緊迫する日中関係のさなかに開催された。日本チームと各国の試合には連日多くの中国ファンが詰めかけたが、その声援はスポーツとしての応援の枠を大きく逸脱していた。

6日のフランス戦で日本の張本智和がルブラン選手と対戦した際、張本がサーブに入ろうとすると客席から何度もブーイングが飛び、フランス側が得点すると場内は歓声に包まれた。取材していた水谷隼氏はTBS「ひるおび」で「ヤジではなく暴言。どこの会場でも聞いたことがない酷い言葉だった」と語り、明らかな敵意の空気を証言した。

実際、観客席からは「日本を応援するヤツはくたばれ!」という暴言が飛び、ルブランが一度プレーを仕切り直すほどだったという。水谷氏は「あれはさすがにありえない。選手も動揺していた」と振り返り、会場がその暴言に呼応するように盛り上がった場面を「異様」と表現した。

得点ごとに沸く“反日歓声” 公平性が損なわれた舞台

水谷氏によれば、どの国が相手であっても、日本側が失点するたびに大きな歓声が起きるという状態だった。「公平なスポーツの舞台というより、政治感情をぶつけるための空間に近かった」との証言は重い。

卓球は中国でもっとも人気のあるスポーツの一つで、国内では絶大な人気を誇る競技である。そのため、熱狂的な声援が起きること自体は珍しくない。だが今回のように特定国の選手を“敵視”する形の応援が公然と行われ、観客が暴言を喜ぶような反応が起きたのは、明らかにこれまでの国際大会とは様子が違う。

張本智和を巡っては、5日の選手紹介で誤って妹の「張本美和」が二度アナウンスされるという不手際もあった。単純なミスと見ることもできるが、緊張感のある国際試合でなぜ日本選手に関係する部分で連続して誤りが起きたのか、疑問の声も上がっている。

水谷隼氏が感じた“身の危険” 街歩きも制限

水谷氏は取材中、普段では考えられないほどの警戒心を強いられたと語った。「街を出歩かない」「日本語をあまり話さない」「会場の外ではパスを外して日本人であることを悟られないようにする」など、行動に制限をかけざるを得なかったという。

国際大会の取材経験が豊富な水谷氏にとっても、こうした対応は異例中の異例だ。大会期間中、ネット上では中国の反日世論が高まり、関係のないスポーツやエンタメのニュースにも批判的なコメントが相次いだ。会場周辺では日本関係の表示物が撤去される事例も報告され、現地の雰囲気が緊張していたことがうかがえる。

スポーツは対立の道具ではない

スポーツは、国籍を超えて選手同士がフェアに競い合い、互いの実力を称える場である。勝敗に一喜一憂するのは当然としても、相手国の選手を侮辱したり、政治的な感情をぶつけたりすることは本来スポーツの精神に反する。

今回の成都大会で起きた一連の出来事は、日中関係の悪化がいかに人々の行動や空気に影響を及ぼしているかを示したといえる。スポーツ、さらには音楽コンサートなど文化イベントにまでその空気が波及し、日本アーティストの中国公演中止や、中国アーティストへの日本側の反感など、双方で連鎖的反応が生まれている。

政治状況が不安定なときこそ、国際大会や文化交流は“橋”となり得る。だが現実には、今回の卓球W杯のように、観客の行動がその場を「対立の象徴」に変えてしまう危うさが浮き彫りになった。

問われる中国の観客マナーと国際基準

中国の観客の“民度”が疑問視される声は今回だけではない。サッカーW杯予選でも日本選手へのブーイングが起き、アイドルイベントでも日本発アーティストの名称を意図的に省く司会進行が問題となった。

ただし、こうした行動が中国全体の姿勢と決めつけることもできない。競技会場には礼儀正しいファンも多く、選手への敬意を欠く行動は一部の過激なファンによるものだという指摘もある。問題は、こうした暴言が黙認され、会場全体の雰囲気に飲み込まれる構図が生まれている点だ。

国際大会を開催する以上、運営側には観客マナーの徹底と公平な試合環境の保障が求められる。選手が政治感情の矢面に立たされる環境では、スポーツそのものが損なわれてしまう。

今回の成都大会で起きたことは、日中関係の緊張が生活文化やスポーツ現場にまで浸透している現実を示した。だが同時に、スポーツは対立を越える力を持つという事実も忘れてはならない。必要なのは、観客一人ひとりが相手選手を尊重する姿勢であり、運営側がフェアな環境を守る責任だ。

世界で戦う選手たちが安心してプレーできる舞台を整えること。それがスポーツを愛する国々の義務である。

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ライター:

千葉県生まれ。青果卸売の現場で働いたのち、フリーライターへ。 野菜や果物のようにみずみずしい旬な話題を届けたいと思っています。 料理と漫画・アニメが大好きです。

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