
歌手の浜崎あゆみ(46)が28日、翌29日に予定していた上海公演の中止をインスタグラムで発表した。
総勢200名が5日間かけて完成させたステージを目前に、現地当局から突然の要請が入ったという。香港の大規模火災への哀悼を示し、演出変更まで公表した直後の判断でもあり、アジア各国で揺れる社会情勢がエンターテインメント産業に及ぼす影響の大きさが浮き彫りになった。
上海公演が“前日”に止まった理由の見えなさ
浜崎はストーリーズで「午前に急遽、中止要請を受けました」と報告した。これは国内外の興行関係者が「通常の中国公演ではあり得ないタイミング」と口を揃えるほど異例の通達で、具体的な理由は公表されていない。
上海の現場では、日本から持ち込んだ音響機材や大型LEDセットを中国側の技術者と連携しながら設置し、映像同期、照明のプログラム書き換え、ダンサーとの当日リハ準備まで整っていた。
ステージは“本番直前”の状態で、あとは最終確認を行うのみだった。
それだけに、中止要請が下りた時点でスタッフは困惑に包まれた。行政判断、社会不安、その他の政治的背景が影響したという見方もあるが、いずれも憶測の域を出ていない。国際興行における“不透明なリスク”が改めてあらわになった形だ。
1万4000人のファンに届かなかったステージ
今回の上海公演は約1万4000人のファン(TA)が来場する予定で、航空券やホテル予約を含む遠征準備を整えていた層が多かった。浜崎の中国・台湾圏での人気は依然として高く、SNS上の盛り上がりは開演数日前から異常な熱量を見せていた。
公演中止が前日に告げられたことで、ファンは現地入り後に状況を知るケースも多かった。
「この日のために休暇を調整した」「家族旅行と組み合わせていた」など、ひとり一人のスケジュールの中心に“浜崎のライブ”があったことがうかがえる。
浜崎自身も「さまざまな国から集まってくれた皆様に直接お詫びできず、会場を解体するのが信じられない」と投稿。ファンとの接点そのものが絶たれたことを悔やむ姿は、今回の事態がアーティストにとっても大きな痛手だったことを物語っている。
香港火災への哀悼と“表現の慎重さ”
浜崎は27日、香港の高層住宅火災で100名以上の死者が出たことを受け、「香港の皆様に祈りを捧げます」と投稿し、観客に対して「赤い服装を控えてください」と要請。自らの衣装や炎演出も取りやめると発表していた。
アジアツアーの出発点が香港だったこともあり、地域の痛みを無視した演出は避けるべきだと判断したものだ。演出の象徴色まで調整する姿勢は、浜崎が単なる“興行主”ではなく、表現者として社会の空気を敏感に読み取ろうとすることを示していた。
しかし、この“社会への配慮”の翌日に、上海公演が突然中止されるという皮肉な構図が生まれた。
アーティストが社会に寄り添った判断を下しても、政治的・行政的な空気に左右される現実――その不確実性が今回の事態をより重くしている。
中国ツアーの柱としての上海と、国際興行のリスク
浜崎の今年のアジアツアーは、香港、台北、杭州、北京、シンガポールなどを巡る大規模スケジュールだった。その中心都市として位置づけられていたのが上海で、現地メディアも連日公演を大きく報じていた。
市内の大型商業施設では浜崎の映像広告が流れ、海外アーティスト公演としては異例の関心を集めていた。だからこそ前日中止は、単なる興行停止の範囲にとどまらず、観光・経済・文化を巻き込んだ“都市全体の計画”を止める重い判断だったとも言える。
中国国内では近年、社会情勢や行政判断によってイベントが左右される例が少なくなく、国際アーティストの活動は常に“不可視のリスク”と隣り合わせにある。今回の浜崎のケースは、その脆弱さを象徴的に浮き彫りにした。
不透明な中止理由と政治的憶測の拡散
要請理由が説明されないまま中止が決まったことで、SNSでは「政治的圧力では」「香港火災への哀悼が影響したのか」といった憶測が広がっている。
一方で、他アーティストはより早い段階で中止決定を知らされていたとの証言もあり、「なぜ浜崎だけ前日なのか」という疑問はさらに膨らんだ。
ただし浜崎本人は「自分の知識がない部分に口出しするつもりはありません」と慎重に発言し、あくまでスタッフとファンへの謝意と責任に言及する姿勢を崩していない。政治的解釈を避けるその態度は、混乱を広げないための自制とも読める。
真相がどこにあるのかは不明だが、今回の件は「表現活動が社会情勢から切り離せない」という現実を強烈に突きつけるものとなった。
結び
上海公演の前日中止は、アーティスト個人の問題を超え、国際興行が抱える“社会的リスク”の大きさを可視化した。200名の制作チームと1万4000人のファン、そして浜崎自身の思いを断ち切った通達は、エンターテインメントと政治・社会の関係がますます複雑化する時代の象徴でもある。
表現の自由と安全、芸術と社会、文化交流と政治の境界線。浜崎が今後どのようにツアーを立て直し、再びアジアのステージに立つのか。その一歩は、ファンのみならず国際文化活動に関わる多くの人々にとって注目すべきものとなるだろう。



