
東京・赤坂。TBSの定例社長会見では、ある言葉が静かに場の空気を変えた。
40年間、日曜昼の“顔”であり続けた「アッコにおまかせ!」が、来年3月で幕を下ろす。節目の40周年を迎えたことが、大きな転換点となったという。
長寿番組の終幕は、テレビの時代変化そのものを映し出していた。
赤坂で告げられた“節目の決断”
会見のステージに並んだTBS幹部の表情は、どこか慎重で、それでいて誇らしげだった。
1985年に始まった「アッコにおまかせ!」が来春の放送をもって終了する。その一報は、長く続いた番組ほど重く聞こえる。
合田隆信専務は、まず番組を支えた関係者へ深い感謝を述べた。
「40年の長きにわたり司会を務めていただいた和田アキ子様、出演者、スタッフ、そして視聴者の皆様に心から感謝申し上げます」
続けて龍宝正峰社長が言葉を重ねる。
「もしかしたら40年も続けられる番組は、これからは出てこないのかもしれない」
会見場の空気が一瞬止まり、誰もがその重みを噛みしめた。
終了の理由については「40周年という節目がひとつのきっかけになった」と説明されたが、その裏には時代の変化が確かに息づいていた。
40年間、日曜日を支えた“アッコの声”
スタジオの照明、独特のテーマソング、そして和田アキ子の張りのある声。
「アッコにおまかせ!」は、昭和・平成・令和をまたぎ、時代の空気を吸い込みながら生放送を続けてきた。
思えば80年代、テレビは家庭の中心にあり、日曜昼は情報番組が最も強い時間帯だった。
その中でアッコは、歯切れの良いコメントと人間味のある視線で番組の核となった。
視聴者にとっては、
「日曜の昼にテレビをつければ、そこにアッコがいる」
という安心感に近かった。
40年間の歴史の中には、忘れ難い瞬間もある。
事故で松葉杖姿のまま出演した日、体調が悪くても生放送を貫いた日。
そのすべてが、長寿番組ならではの積み重ねとなり、テレビ文化の一部として刻まれた。
終了の背景にある“時代の地殻変動”
終了の判断は和田本人、所属事務所、TBSの三者で話し合い合意に至ったというが、背景には確かな「変化」がある。
まず、テレビを取り巻く環境だ。
SNSが普及し、誰もが瞬時に意見を発信できるようになると、
ご意見番の存在そのものが時に槍玉に挙げられるようになった。
和田アキ子はラジオで「ケガや病気はできない。3月まで休まず終わりたい」と語り、生放送を続ける責任の重さをにじませていた。
さらに日曜午前〜昼の視聴習慣は、配信サービスの台頭で大きく揺れ動く。
テレビ各局が番組の若返りや編成転換に踏み出す中、40周年という節目は、切り替えの象徴となった。
世論の声 讃える者、寂しさを語る者、時代を読む者
コメント欄を見れば、反応の多様さがわかる。
「40年間は偉業」「和田さんの元気を毎週もらっていた」という敬意。
「時代に合わなくなってきた」「毒舌が難しい時代」という冷静な分析。
そして「日曜の風景がまた一つ消える」という喪失感。
特に印象的なのは、
「強い言葉を発する人が叩かれる時代になった」
とする意見だ。
テレビと視聴者の関係が、かつての一方向型から、双方向の緊張関係へと変わったことを示している。
番組の終了は、単に一つの長寿番組の終幕というだけではない。
「テレビと言論のあり方が変わった時代の象徴」
として受け止められている。
TBS日曜午前帯の“次の一手”はどこへ向かうのか
TBSにとって、日曜午前11時45分は長年の看板枠だった。
その枠が空くということは、編成戦略の大転換を意味する。
候補として考えられるのは三つだ。
- 新しい情報番組による刷新
- 若年層を意識したバラエティへの転換
- 配信連動型のハイブリッド番組
近年のTBSは若者層の獲得を重視し、ドラマ・バラエティ問わずネットと地上波の共存を強化している。
その流れを日曜昼に拡張する可能性は高い。
40年守られた枠が変わることは、テレビの地殻変動を象徴する出来事だ。
「アッコにおまかせ!」が築いたものの大きさを示すとともに、次に何が来るのかを想像させる。



