
全国優勝3度。甲子園通算出場53回。広陵高校野球部は、高校野球界きっての名門として名を轟かせてきた。だが今夏、甲子園の舞台で突然姿を消した彼らの背後には、表に出ることを拒まれてきた“もう一つの広陵”があった。
発端はSNSでの一人の告発だった。1年生部員が寮内で禁止されていたカップラーメンを食べたことで、上級生から暴行を受け、今年3月に転校を余儀なくされたという話だ。高野連は「厳重注意」で済ませ、学校も甲子園出場に支障はないと判断した。
だが告発が拡散すると、続けざまに別の元部員が同様の被害を公表。世論の火は一気に燃え広がった。結果、広陵は2回戦を目前にして出場辞退を発表する異例の事態となった。
「事故にしておけ」
名門の影は、今回の件で初めて浮上したわけではない。10年前に在籍した元部員A氏は、いまも当時の光景を忘れられない。
2015年秋。新チーム始動直後の夕食時、先輩に「汁を人の目に入れろ」と命じられた。拒んだ結果、暗い部室に呼び出され、正座を強いられたまま複数の先輩から殴打と蹴りを浴びた。スパイクの一撃がこめかみに入り、意識を失った。
目が覚めたのは病院のベッド。右半身が痺れ、車椅子生活を余儀なくされた。だが数日後、病室を訪れた中井哲之監督が放った言葉は「お前はドアに挟まれたんやろ」だった。A氏が否定しても「違うやろ、そういうことにしとけ」。監督に逆らえず「はい」と答えるしかなかった。
こうしてリンチは「不注意による事故」として処理され、報告すらなされなかった。
広陵という王国
広陵は私学であり、野球部は学校の広告塔だ。プロ野球に27人を送り出す輝かしい実績があり、部員が全国から集まる。学費と寄付金、知名度。その全てが学校に利益をもたらす。
元教員はこう証言する。
「中井監督は広陵にとって特別な存在。部員を集めることは学校の経営に直結する。モノを言える雰囲気はなかった」
部員はA・B・Cの3チームに区分され、監督が目を配るのはAチーム中心。寮に戻れば、上級生による「しばき」が待っていた。後輩は正座し、後ろ手に組まされ、抵抗できない姿勢で殴られる。「教育」と称する伝統が、密室で黙認されていた。
名将の二つの顔
中井監督は著書で「野球部は家族」と語る。だがOBや元部員の証言は別の顔を指す。
「右が動かんのは嘘やろ」
「お前は何がしたいんじゃ」
被害者を追い詰める冷笑的な言葉は、家族を守る指導者のものではなく、組織の体裁を守る支配者の響きだった。
監督は表向き“人間育成”を説きながら、裏では事故処理に走り、声を上げる者を切り捨てた。その結果、転校を余儀なくされた部員はA氏を含め複数に上る。ある保護者の日記には「仲間に一言ずつ悪口を言わせる中井先生の指示」と書かれていた。教育の場というより、統制の場だった。
口止めの文化
今回の広陵の声明は「偶発的な事故」との一点張りだった。当時のコーチや部員に確認したとしながら、当事者本人や家族には一度も連絡を寄せていない。A氏の父親は語る。
「10年経って告発することに私たちの得はない。ただ、同じ被害が今も続いているから言わざるを得なかった」
沈黙を強いられるのは被害者であり、守られるのは名門の看板。これが“口止め文化”の正体だ。
崩れゆく王国
堀正和校長は会見で「抜本的見直し」を口にし、中井監督は当面の指導から外れた。だが一方で、OBのグループLINEには監督本人の「SNSでの誤情報を通報してほしい」との呼びかけが流れたという。信奉者はいまも健在だ。
被害者A氏は冷静に言葉を選んだ。
「暴力に耐えて強くなるなんて絶対に間違いです。隠蔽を続けたのは監督自身。その現実を受け止めてほしい」
名門・広陵は「家族」と称したその内部で、暴力と沈黙の連鎖を生み続けてきた。王国の看板を守るために。その構図を断ち切れるのは、いましかない。