ブログ武勇伝が「ブーメラン」に?

ラオスの首都ビエンチャン。メコン川沿いに広がるこの穏やかな町に、150匹以上の保護猫と犬を抱える日本人女性がいる。名前は岩竹綾子(46)。日本では無名の存在だったが、いま彼女の名がSNSを駆け巡っている。
理由は、児童買春に関する“ある勇敢な行動”と、その後に発覚した“まさかの過去”だった。
日本人による児童買春…ラオスの「現実」に声を上げた一人の女性
タイやカンボジアなど周辺国で取り締まりが厳しくなった結果、“買春の抜け道”として外国人の流入が進んでいると言われるラオス。その中でも、特に問題視されているのが未成年の少女を対象にした買春だ。
岩竹氏は、ビエンチャンの市街地で飲食店を営みながら、動物保護活動にも従事する現地在住の日本人女性。SNSでラオスの児童買春実態に気づいた彼女は、「見て見ぬふりはできない」と今年4月、オンライン署名を立ち上げた。
署名の主旨は、「日本政府に対し、児童買春に関与する日本人への警告と法的対応を求めるもの」。SNS上では同調の声が相次ぎ、2ヶ月足らずで2万5,000筆以上の署名が集まった。
在ラオス日本大使館が“異例の対応” 署名が国を動かした
6月9日、岩竹氏は署名を携え在ラオス日本大使館へ。すると、わずか8日後には外務省が公式に注意喚起を発出した。
その文書には、「児童買春は日本国内法(児童買春・ポルノ禁止法)の対象となる」「相手の年齢を知らなかったでは通用しない」「日本の警察も捜査対象とする」といった、極めて強い表現が並ぶ。
市民の声が国を動かした――そんな感動すら覚えるような展開に、SNSでは賞賛の声が相次いだ。「真の勇気」「尊敬しかない」と持ち上げられた岩竹氏。
しかし、事態はここから急転する。
だが…発掘された「2009年のブログ」が事態を一変させた
ネット民の調査力は容赦ない。岩竹氏の名がニュースで取り上げられると、彼女の過去のアメブロのブログ記事が掘り返された。
2009年に投稿されたそのブログ記事には、当時30歳の岩竹氏が18歳の少年を飲み会から“嫌がるのを押し切ってホテルに連れ込んだ”という内容が綴られていた。
「嫌がる彼に“何もしないから!”と懇願してホテルに連れ込みました。が、何もしないなんてはずはない。狙いどおり。」
「可愛かったのになぁ。メールが来ないと落ち込む私より、無理やりやられた彼に同情が集まってました。」
その語り口は“加害の自覚ゼロ”で、まるで武勇伝のよう。SNS上では、「性別が逆なら確実に逮捕案件」「性加害を追及する人間が性加害してたってマジか」と怒りの声が相次いだ。
“火に油”となった開き直り投稿 ブーメランが自分に刺さる
追い詰められた岩竹氏は、X(旧Twitter)で以下のような投稿をする:
「燃えてるね。私は立派な人じゃないよ。児童買春だけは問題だと思ってるけど、実際ゴーゴーボーイと結婚したし遊んだこともある。ダブスタではないと思ってる。それでもラオスでの児童買春問題は目にあまるって事。」
これがさらに炎上を招いた。「なぜ自分の加害は棚に上げて正義を語る?」「“私は立派な人じゃない”で済まされる話じゃない」と、批判は止まらない。
岩竹綾子とは何者か?——素顔は“猫とラオスとラーメン”の人
岩竹氏は、ビエンチャン郊外で食堂を営むラオス在住10年超の日本人女性。唐揚げとラーメンが名物で、現地在住日本人やラオス人からは“気さくな猫おばさん”として親しまれている。
もう一つの顔は、150匹以上の犬猫を保護する“動物シェルター運営者”。自腹や寄付で運営し、SNSでも保護活動の様子を頻繁に発信していた。
ラオスコミュニティにいる関係者は語る。「岩竹さんは、悪い意味でも良い意味でも“素で生きてる人”。正義感も強いけど、言動が粗くて損してる。でも、子どもや動物に対しては本当に真っ直ぐなんです。素敵な人ですよ」。
なぜ擁護と批判が二極化したのか? 「正義を語る資格」が問われる時代
今回の騒動で浮かび上がったのは、「善意を語る資格とは何か?」という命題だった。
「性加害をしてきた者が、他人の性加害を裁くのは不誠実だ」とする声がある一方、「過去に過ちがあった人でも、今正しいことをするのは素晴らしい」との擁護論もある。
特に“性別”の観点では、「これが男性なら一発アウト」「女性だから許されるのはダブルスタンダード」といった指摘も多く、炎上は複雑な様相を呈した。
国外での買春も処罰対象 外務省の本気とは?
今回の注意喚起文において、外務省は“国外犯”としての摘発を明確に言及。日本の児童買春・ポルノ禁止法では、海外での買春も対象となり、帰国後に逮捕された例もある。
「現地の年齢確認が難しい」「知らなかった」では通用せず、証拠があれば日本の警察も本格的に捜査対象とするとのこと。つまり、“ラオスで遊んでSNSに上げる”行為が、そのまま自白証拠になるのだ。
それでも、声を上げたことに意味はあったはずだ
たとえ過去に問題があったとしても、岩竹氏が今回、ラオスでの児童買春に一石を投じたことは事実だ。
外務省が動いたこと、大使館が警告を発したこと――これらは、署名運動という市民の力が為し得た成果だった。
善悪を100対0で裁くことは、もはや難しい時代になった。
完璧な人などいない。誰もが何かしら“脛に傷”を持っている。ましてや十数年前、SNS黎明期の「便所の落書き」めいたブログで自分語りをしていた人たちに、それを今の倫理基準で断罪しきるのは酷かもしれない。
逆に言えば、だからこそ今後は、ネットに何を書くか、自分の言葉が誰かを傷つけていないか、私たち一人ひとりが見直す必要がある。
そして何より、「今、自分にできる正しい行動」を積み重ねることこそが、過去を乗り越える唯一の道なのかもしれない。