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「逃げた女」はなぜ戻ってきたのか 山尾志桜里、復帰に問われる信頼回復のカギは? 国民民主党不倫容認政党の批判

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山尾しおり HP
山尾しおり氏 HPより。人権保障がご専門とのことだが、まずは自身の行いで自死まで追い込んでしまった人の人権を尊重し、公で謝罪することからではないか。

2025年春。国民民主党を取り巻く空気が、音を立てて変わった。

物価高に喘ぐ市民の声を拾い、実務ベースでの政策提言を地道に積み重ねてきた同党は、一部の無党派層や中道左派の支持層にとって、「現実に働く政党」としての存在感を確かに高めつつあった。
特に、代表・玉木雄一郎氏による「クリーンな中道路線」や、昨年報じられたプライベートでの火種――いわゆる“路チュー不倫疑惑”を表面的にはうまく沈静化させた手腕には、「ギリギリ踏みとどまった」「この人は学んだ」と見る声すらあった。

だが、その微かな信頼の芽吹きは、一本のニュースによって凍りついた。

「山尾しおり(山尾志桜里)氏、参院比例候補として国民民主党から出馬へ」

その瞬間、ネット上では予想通りの反応が噴き出した。
「倫理感がバグった政党か」「この人を起用するなら、玉木の不倫も無効化ってわけ?」
なにより、「山尾=不倫」という構図が、ようやく風化し始めていた玉木氏自身のスキャンダルとも共振してしまったのだ。

玉木が抑え込んだ火種に、自らガソリンをかけたようなものだった。

 

国民民主党の自滅にホッとする自民党議員

「まさかここまで嫌われてるとはね。SNS見てたら、うち(自民党)の失言より燃えてるじゃない(笑)。党も、もっとマシな使い方があったんじゃないの?」

ある与党中堅議員は、山尾しおり氏の国民民主党からの出馬決定を受け、取材にこう漏らした。

「まあ、これで『中道の受け皿』って看板は降ろすだろうね。なんでわざわざ“あの人”で勝負をかけたのか……。ありがたいよ、正直。勝手に自爆してくれるのは、こっちからすれば一番楽だ」

山尾氏という名前が呼び起こす説明しない政治家への国民の強烈な拒絶感を国民民主党は読み誤ったのかもしれない。

不倫容認政党としての共振現象 崩壊のはじまりか?

 

橋梁工学の世界では、構造物が一定の周波数で揺さぶられると、わずかな風でも全体が揺れ、やがて崩壊に至る「共振現象」がある。たとえば、1940年に米国のタコマ橋が崩落した事故。風速は特別強くなかった。それでも橋は揺れに揺れ、ねじれ、崩れ落ちた。原因は共振。設計思想の隙間に、自然のリズムが侵入したからだった。

いま、国民民主党が置かれている状況も、まさにそれに近い。

山尾氏という“風”が呼び起こしたのは、単なる過去の記憶ではない。
封じ込めたはずの不倫スキャンダル、説明責任への無言、政党渡り歩きへの不信。そのすべてが、橋の構造と同じ周波数で震え始めた。

党が抑え込んできた“倫理の振動”が、再び共鳴し始めたのだ。せっかく玉木氏が抑え込んだ過去の火種が、再び*共振して炎を上げていることに、多くの支持者が「もったいない」と口を揃えるのも無理はない。

蒸し返される不倫問題や「日本死ね」問題

 

実際にSNSには厳しい批判が溢れる。「不倫より『日本死ね』の件で嫌いだわ」「人選でここまで組織の印象が変わるとは」といった投稿のほか、「不倫する余裕がある政治家の感覚が理解できない」「脇が甘い、他人に厳しく自分に甘い」など、過去の言動が蒸し返されている。

「この人を使うなら、玉木の不倫も免罪ってこと?」「不倫コンビ再集結?」といった書き込みも相次いだ。また、かつて宮崎謙介氏の不倫を激しく糾弾しながら、自身もほぼ同じ構造の不倫に陥った際に説明責任を果たさなかったことで、これ以上ない「ブーメラン女」のイメージもついてしまっている。

実際、山尾氏の政治キャリアは波乱に満ちてきた。2009年に愛知7区から初当選。名古屋地検勤務の元検事として「正義の象徴」のように持ち上げられたが、2016年に匿名ブログ「保育園落ちた日本死ね!!!」を国会で取り上げたことで賛否両論の注目を浴びた。同年の流行語大賞まで受賞するが、その翌年には弁護士との不倫スキャンダルで離党。説明責任を果たさない会見や、政党を渡り歩く姿勢にも疑念が向けられた。

政治家にとって、スキャンダルが致命的になるかどうかは、その後の「復帰戦略」にかかっている。山尾氏は自ら「しがらみのない政治」を掲げたが、その実態は「恩義を感じず、組織や支援者を容易に切り捨てる人」という印象を残した。そうした言行不一致の積み重ねが、今回の反発にもつながっている。

「逃げない」と言えるか 語られた言葉と、その重さ

 

赤坂での街頭演説で、山尾氏はこう語った。

「こうやって人前でマイクを握るのは、4年ぶりです。政治は、本当に多くの方が人生をかけて挑戦し、つくられている。私もあらためて国民民主の仲間としてチャンスをもらい、皆さんが築き上げた信頼を裏切らないという思いでやりたい」

「国民民主は『103万円の壁』で有名になったけれど、ワンイシューの政党ではない。結党時から、給料が上がる経済、自分の国は自分で守るということを訴え続けてきた」

「ネットのみなさんの力を最大限お借りして人気を上げていただいたと、一民間人として思っているが、暮らしに根付いた政党だということをお伝えしたい」

言葉としては誠実だ。だが今、世間が知りたいのはその意思表明ではなく、姿勢だ。「逃げなかった」と言えるのか――それがすべてである。

山尾志桜里、信頼回復のカギは?

 

はたして、山尾氏がここから信頼を回復する道はあるのか? 狭い道だが、なくはないだろう。社会は変わり続けており、どんな悪人でも自分の意見を表明する媒体を手に入れられる時代だ。へずまりゅう氏などへの見方も社会的に少しずつ改まってきている。「やり直しのできない社会」ではない。

問題は山尾氏が過去の言動とどのように向き合い、何を語り、どこから信頼を取り戻していくのかである。その答えは「ある」。ただし、それは政治的なパフォーマンスではなく、社会との真の対峙を通じてのみ可能だろう。

提案1:YouTubeで「逃げない」を実践する

不倫問題、相手ご家族の自死に対する謝罪の想い、政党間の離合集散、小沢一郎氏との関係、立憲民主党との軋轢――。
それらすべてを自ら語る沈黙を破るシリーズを、ノーカットで配信する。
動画タイトルは『逃げない』。編集も最小限にとどめ、自分の言葉と表情で語る。
視聴者は「何を言うか」よりも、「どう語るか」を見ている。

提案2:公開対話に応じる

元支援者、記者、元同僚などと公開の場で率直に語り合う。
その痛みのある対話こそが、誠実さの証明となる。
山尾氏が避け続けてきた「批判と向き合う場」を、今こそ作らなければならない。人気YouTube番組の「ReHacQ−リハック−」や「街録」あたりに出て、剥き出しになった山尾で対話することもいいだろう。

提案3:党として「説明責任の文化」を打ち出す

国民民主党が、「過ちのない政治家しか立てない」のではなく、「過ちにどう向き合ったかで判断する」という軸を明確にし、そのためのプロセスと場を整える。
候補者の責任は候補者に、政党の責任は政党にある――そうした“連帯の覚悟”が示されるなら、政党としての信頼も保てる可能性がある。

再出発は可能か?

 

人は誰しも過ちを犯す。
しかし、その過去から目を逸らす者に、未来を語る資格はない。

今回の山尾氏の復帰は、国民民主党にとって試金石であり、同時に社会が「やり直しを許せるのか?」という問いを突き付けられている瞬間でもある。山尾志桜里氏は、政治家として改めて道を歩みなおす覚悟を決めたのならば、この試練に対して、「言葉」ではなく、「態度」で応えていく必要があるのではないか。

信頼の再構築には時間を要する。だが、今回の山尾氏の復帰劇は、単なる「炎上」では終わらない。ここからどう再起を図るのか。本人と党の覚悟が今、試されている。

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寒天 かんたろう

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ライター歴25年。月刊誌記者を経て独立。伝統的な日本型企業の経営や大学、高校、通信教育分野などの取材経験が豊富。

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