最近の経済現象をゆる~やかに切り、「通説」をナナメに読み説く連載の第15回!イマドキのビジネスはだいたいそんなかんじだ‼
失われた30年が戻ってくる!?
ウホホーイ! 失われた30年が少しだけ戻ってくるかもしれないぞ!! ウホウホ——。
そんな雰囲気がこの1ヶ月ほどの間にポカリ、ポカリと現れつつあるようだ、この日本という国に。
言うまでもなく、先の衆議院選挙で自公が過半数割れをして、野党が唱える庶民の所得アップ、減税が実施されようとしているからだ。ただしキャスティングボードを握っている国民民主党の基礎控除ラインの引き上げよりは、消費税減税のほうが圧倒的に景気浮揚、税収アップにつながることはまだまだ理解されていないのは誠に残念だ。
が、SNS等では減税効果についてはかなり浸透しつつあり、いずれ消費税が減税されて巷の老いも若きも、消費や投資を行い社会を活気づかせてくれるだろうと、ワタシは勝手に期待している。
問題は基礎控除ラインが引き上げられ、あるいは消費税がなくなったとして、いまの人たちがいったい何を消費するか、である。
基礎控除のラインが178万になるのか、あるいは消費税が5%になるのか、0%になるのかはわからないが、いずれにしても政策が決定されれば、大きな大きな変化が起きることは間違いない。しかしその効果が持続するのかが、問題なのである。
キリスト教の「勤勉」が資本主義を生み出した
少なくともいまの社会、世界の大半の国家は資本主義を前提としている。
見識の高い紳士淑女のみなさまはご承知だと思うが、そもそも資本主義は、キリスト教のプロテスタントのカルヴァン派の教義から誕生している。信者である彼ら彼女らは、いまやっている仕事は神から与えられた天職であり、道徳的で禁欲的であれば仕事を通じて誰もが蓄財と金儲けをしてもよいと教わったのだ。
しかし禁欲的でありすぎて、ただ蓄財をし続けては経済は発展しない。大事なことは蓄財もするが、それ以上の金を「消費」ではなく、「投資」に回すことであった。働いて得た金を次の蓄財のために原料や商材を購入して事業を拡大することである。つまり事業の拡大は勤勉の証であり、勤勉とは「働いて得た利益を再投資を繰り返すこと」になったのである。
「投資」と「消費」の差って何?
しかしよくよく考えると消費と投資は、巷間言われるほど明確な違いはない。
少なくともワタシにはわからない。
だってどっちもお金を使うことに変わりはないからである。
あるとすれば、投資はその経済効果が自分に戻ってくるかどうか、消費はその経済効果が他の人に及ぶかどうかである。うーん、この説明もおかしいな。
だってお金を支払うことはなんらかの効用を目的として使うわけだから、その効用を経済効果として測定すれば、大なり小なり経済効果はあるはずだからだ。
鳥遺族で飲食するのも、ユニクロでトップスを買うのも消費だが、そこで買ったものは焼き鳥であったり、レモンサワーであったり、ソフトニットフリースクルーネックTであったり、ハイブリッドダウンコートであったりと別々であっても効用は得られる。
前者は味覚や胃袋への満足感、はたまた友人との楽しい時間、会話であり、後者ではそれを着てかっこよくなった自分を友人に見てもらった時の称賛や羨望の目であったり、単純に暖かさであったり、暖かさに加えて動きやすさがあったことで、今まで出かけられなかったアウトドアレジャーを体験し、得られた新たな満足感やそこで得られた友人との共感であったり、そしてその満足感が仕事へのモチベーションをアップさせたりして、新しい得意先の獲得をもたらすことに繋がったり…。消費の経済効果は本人にも周囲にも好影響をもたらすのだ。
一方店側に支払れた代金の一部は、次の投資に回る。
投資は自力で、消費は他力というのがわかりやすいかもしれない。
チューリップ・バブル崩壊後、オランダは世界随一の花卉マーケットを生んだ
話が随分迂回してしまったので、話を17世紀のオランダに戻してみる。
幸い当時はヨーロッパは大航海時代であった。海外から見たことのないような財宝がわんさかわんさか運ばれてきて、貴族や資本家、一般市民の欲望を掘って掘って掘り起こしたのだ。
つまり、消費が拡大し、投資を呼び込み、経済圏を広げ、景気を押し上げていった。
消費が加熱すれば、投資の熱狂を生み、バブルが起こるのは資本主義の定めだ。
1630年代にオランダで起こったチューリップ・バブルはその典型だ。スコットランドのジャーナリスト、チャールズ・マッケイによれば、「貴族、市民、農民、商人、漁師、従者、使用人、煙突掃除人や洗濯婦までもがチューリップに手を出した」という。
そして貴重・希少なチューリップの球根の価格をあれよあれよと引き上げていった。チューリップ・バブルは1637年の2月に突然散ったが、散って終わったわけではなく、その後オランダは世界の花の6割を集めるヨーロッパ随一の花卉市場として機能している。
税は政策の目的のためにあるのではなく、景気の調整弁である
消費の加熱によって起こるコントロールしてきたのが、近代においては金融政策であり、財政政策であり、税制である。最新の経済学では、新税の設定を含む税率の変更は景気の調整弁として活用されてきたのであり、「政策実現のための財源の確保」を目的としてはいない。
仮に政策実現のための財源確保を目的として新税が設定されたり、税率が上がるなら、防衛費の予算の倍増は理にかなっていない。プライマリーバランスにこだわり続ける一方で防衛予算だけ2倍とするなら、新税を問うべきだろうと思うのである。
きな臭い情勢が続く国際情勢を鑑みれば、「防衛税」として課したほうが明確で、説明も納得もしやすいからね。
税率が上がれば、当然国民は財布の紐を締め、企業は投資を控える。これを繰り返せば、市場の規模はどんどん小さくなるのは、小学生でもわかることである。
そのマイナススパイラルが、ようやくプラススパイラルに転じようとしているわけだが、このプラススパイラルをサステナブルに続けるためには、金融政策、財政政策、税制を動かしたほかに、新たな市場をつくる策が必要だとワタシは訴えたいのである。
話が長くなって申し訳ない。でもこの辺、あっさりさせるといろいろと「もぞもぞ感」を残すと思うので、続ける。
日本が30年にもわたってデフレに悩まされてきたのは、端的に言えばデフレ対策にインフレ対策をやっていたというトンチンカンがあったせいだが、もう一つはお金を投じる対象が減ってしまったことがある。
もう誰もモノを買わなくなった時代の「消費ブースター」を身に付けよ
いうまでもなく、いまや必要な家電はどこの家でも揃っているし、スマホも国民一人当たり1台以上持っている。クルマも地方では成人で免許を持っていれば、1人1台が当たり前化している。
若い世代ならマイ「プレステ」やマイ「ニンテンドースイッチ」は持っているだろう。
昭和の高度成長期には、とにかく新しいモノが売れた。洗濯機、冷蔵庫、ステレオ、テレビ、エアコン、マイカー…。一部の富裕層はヨットやクルーザー、別荘を所有した。
途中で二度のオイルショックやドルショックなどがあったが、ざっくり言えば昭和という時代は、所有が幸福や豊かさの尺度だった時代である。
時代が下って平成・令和。消費の対象は「モノ」ではなく、「コト」となった。モノも消費するが、「コト消費」の一部としての補助消費である。旅行やキャンプ、フェス、スポーツの習得、観劇、茶道や生け花、俳句、楽器などの習い事、あるいは動物を飼うこともコト 消費である。
まあ、ここでいろいろあげつらってもとくだん新鮮さが出るとは思えない。というくらい「モノ」から「コト」へのシフトは進んでいる。進んでしまっているのである。
もしかしたら、もはや新たに消費するような目新しい消費対象はなくなってしまったのかもしれない——そんな不安が足元から駆け上がってくる。
もちろんアニメをはじめとしたエンタメ、ITやAI絡み、福祉・介護、ペット市場、ECサイトなど、成長している産業セクターは少なくない。
しかしエンタメ以外は、たとえば福祉・介護、ペットなど日本の社会構造の変化がもたらした帰結とも言えるセクターが多い。
ワタシは、人口減少が進む日本の未来を考えると、これら成長セクターの「なすがまま成長」を見ているだけではいけないと思うのである。なすがまま成長をブーストさせる新たなブースターが必要があると考えている。
人間の複雑な欲求が市場を広げるブースターとなる
新たなブースターとは消費者の「感情」である。
いうまでもなく、消費とは人間の「ほしい」という感情によって行われる。つまり「欲求」だ。
で、人がどうやったら自社製品を欲しがるかを考えて体系化されたのが「マーケティング」という学問である。そしてそのマーケティングの理論を実践するマーケティング会社や広告代理店が誕生した。
マーケティング会社や広告代理店は「ほしい」感情を最大化させて、購入を促す導線を引く。その導線のステップがAIDMA(アイドマ)と呼ばれる法則だ。AIDMAは、インターネットやSNSの発達前の法則だったから、それらが発達するとAISAS(アイサス)、AISCEAS(アイセアス)に進化した(詳しく知りたい人は検索してみてね)。
一方、アメリカの心理学者のアブラハム・マズローは、人間の「ほしい」には段階があるものだ、とし、食欲や睡眠欲などの、取らないと生死をわける「生理的欲求」から最高位の「自己実現の欲求」にいたる「欲求5段階説」を唱えたことは知られているとおりだ。
しかし学問というものは、人間というものをこと細かに分析する。マズロー以降、いろいろな心理学者が「いやいや人間にはもっと複雑な欲求があるよ」と打ち出している。
たとえば、アメリカの心理学者ヘンリー・アレクサンダー・マレーは、次のような欲求を持っているとする。
①「恥辱の回避」……自分の自尊心を傷つけるような構造などを回避すしようとする欲求。嘲笑や侮辱、無礼、揶揄、愚弄、無関心の態度などや言動を他者から取られないようにする欲求。
②「危害の回避」……危機的な状況、病気や怪我による痛みや苦しみを回避したいとする欲求。精神的な病や苦悩、病気や事故で死亡したりすることを回避するために、事前に何らかの対処や予防行動を取ること。
③「防御」……自分に危害や損失を与えようとする相手から自分を守る欲求。攻撃や批難、中傷から守る欲求だけではなく、失敗や屈辱、犯罪といった自分の落ち度を隠蔽しようとする欲求も含む。
④「不可侵」……誰にも干渉されずに放っておかれたいという欲求。他者が踏み込めない自分だけのプライベートな物理的、心理的領域を確保したいという欲求。人間は、他者とのコミニケーションにより自尊心やアイデンティティーを維持するわけだが、一方で他者が関われない不可侵のプライバシーを保つことで、精神的な安定感や従属を得ている。
⑤「攻撃」……自分に危害を与えようとしたり、自分の欲求を阻害し、敵対行動を取る相手に対して攻撃する欲求。攻撃で相手にダメージを与え、自分を屈服させたり、自分が受ける被害者や損失を軽減させたいという狙いがある。主張的な攻撃欲求のほか、防御的な攻撃欲求、犯罪的・病的な攻撃欲求などがある。
⑥「所属」……自分の存在価値を認めてくれる集団に所属したり、自分に好意や安心を与えてくれる他者と一緒にいたいという欲求。親和の欲求や安全欲求をお互いに満たし合うことができる。
⑦「服従」……「寄らば大樹の陰」の欲求。自分より上位にいる上司や上官、優位者を称賛し、無条件で支持すると同時に、その命令や指示に従属することで安全欲求やアイデンティティーを守ろうとする欲求。強大な勢力を誇る有力者の影響下に入って、服従的な態度を示すことで、栄光に浴しようとする欲求。政治家などに多い。
⑧「拒絶」……自分に危害や損失を加えてくる他者を拒絶する欲求。集団からあるものを拒絶しようとする。いじめの衝動もこの一つ。
⑨「顕示」……他者に自己の存在や行動を見られたい、注目されたいという欲求、単純に他者を喜ばせたり、興奮させたりしてショックを与えて、自分の価値や存在を認めてもらいたいという露出の欲求も含まれる。
⑩「優越」……実績や能力、成績、地位などの相対的な優劣の物差しを使って自分の優位性を確認したいとする欲求。優越の欲求は、命令、指示、誘惑、説得などの手段で他者をコントロールすることで優越感を実感する。
⑪「慈愛」……貧困や飢餓、病気や障害、あるいは絶望、諦観、孤独を抱えた社会的、身体的、精神的弱者に対して何らかの恩恵や救済利益を与えたいと思う、慈しみや同情援助の欲求。寄付やボランティアはその行動の一例。
⑫「達成」……自分の設定した目標や、企業や学校などの集団から与えられた難易度のある課題を一定水準以上で達成したいとする欲求。受験勉強や出世競争がその例。
⑬「自己卑下」……自分の敗北や劣等性、弱さを認めて、それを表に出す欲求。間接的に、他者の支援や助力、同情を期待する場合もある。
⑭「反作用」……過去に犯した自分の失敗を克服したり、弱点を補強することで、自尊心や名誉を挽回し、取り戻そうとする欲求。
⑮「遊び」……実利的な意図や目的を意識せず、ストレス発散や知的好奇心、親和欲求に基づいて遊びたいという欲求のこと。
⑯「理解」……世界や人間、他者などをより正確、詳細に理解したいという欲求。いろいろな事象を一般化し、分析して、法則や公式化したいという欲求行動。実利的な知識や技能を求める場合と、教養的な知識や情報を求める場合がある。
⑱「自律」……自分のことは自分で決めたいという欲求。社会的義務や伝統的慣習から自由になって、強制や束縛を受けずに、自分の考えで行いたいとする欲求。
⑲「養育的依存」……誰かに甘えたい欲求。子供時代に親が無条件で自分の存在を認めてくれて評価してくれたように、他者から無条件の支持や献身的な協力を得て、愛情や信頼を注がれたいとする欲求。
⑳「獲得」……物や金など、財貨を得たいとする欲求。
㉑「親和」……誰かと仲良くなりたいとする欲求。自分と価値観が似ていたり、好いてくれる人と協力したり、交流を深めたいという欲求。
㉒「模倣」……好意を抱いたり、憧れている他者の行動や考え方を取り入れ、真似したいという欲求。
㉓「保身」……社会的な評判や地位を維持したいという欲求。
㉔「救援」……他者に、自分の行為や起こっていることに同情を求め、援助してもらいたいという欲求。
㉕「解明」……物事を解き明かして解釈し、説明・講釈したいという欲求。
㉖「求知」……好奇心を満たす欲求。不思議なことや不明なこと、新しいこと、ワクワクすることについて体験したり説明したりする欲求。
㉗「性」……性的な関係を持って楽しみたいという欲求。
㉘「支配」……他人を統率したいという欲求、リーダーシップを発揮したいという欲求。いわゆるマウント取りもこの欲求の1つ。
㉙「批難の回避」……批難を恐れて、処罰や罰則に従う欲求、不祥事を起こした会社の当事者や経営者が退職したり、降格したりするケースはその例。
どうだろう、結構いろいろあると思う。耳慣れた言葉もあるが、初めて聞く言葉のほうが多いのではないか。字面は同じでも心理学用語として定義するとかなり変わってくる言葉もある。
ま、人間は強弱あれど、皆こうした欲求を持っているということである。
人間の心理は社会の複雑さに比例する。
今後もいろいろな欲求が生まれてくるのは間違いない。欲望を突っつけ。そうすればもっと経済は成長するはずである。
いろいろ言ったけど、イマドキのビジネスはだいたいそんな感じだ。