
東京都杉並区で起きた強制執行中の刺殺事件は、制度が内包する危険と支援の空白を改めて突きつけた。過去にも発生してきた同種事案を振り返り、強制執行の仕組みと安全対策、福祉連携の課題とは。
杉並区で起きた凄惨な事件の経緯
15日午前10時15分ごろ、東京都杉並区和泉2丁目のアパートで「部屋から出てきた男に男性2人が包丁で刺された」と110番通報があった。警視庁によると、立ち退きを求める強制執行に訪れていた60代の男性2人が、アパート前の路上で刃物のようなもので刺され、うち1人が搬送先の病院で死亡が確認された。もう1人は意識があるという。
警視庁は、住居・職業不詳の自称山本宏容疑者(40)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。容疑者は「殺すつもりはなかったが、死んでもいいと思った」と供述しているとされる。捜査関係者によると、「住むところが無くなり、全て終わりだと思った。自分も死んでもいいと思った」とも話しているという。
刺された2人は、家賃滞納が続いた居住者の立ち退きを求める強制執行のため現場を訪れた裁判所の執行官と、家賃保証会社の従業員とみられ、亡くなったのは保証会社の従業員だった。関係者4人ほどで男の部屋を訪ねたところ、男が段ボールを持って出てきて「荷物はこれだけです」と話したという。段ボールから煙が出ており、中を確認するとガスボンベが入っていた。その後、爆発音が鳴り、関係者が外に避難した直後、刃物で襲われたとみられている。
男は現場から徒歩で逃走したが、約500メートル離れた場所で警察官に確保された。現場は京王線明大前駅から北に約800メートルの住宅街。近隣に住む70代女性は、覆面パトカーや消防車が相次いで駆けつけた様子を振り返り、「こんな静かな住宅街で何があったのか」と不安を口にした。
強制執行とは何か 制度の基本構造
強制執行は、確定した民事裁判の判決などで命じられた義務を、敗訴した側が自発的に履行しない場合に、国が当事者に代わって強制的に実現する手続きである。建物明け渡しや差し押さえ、競売などが典型例だ。
裁判所には手続きを担う執行官が置かれ、家屋の明け渡しを命じられた人を退去させたり、返済されない債務に対して財産を差し押さえ、売却するといった業務を行う。執行の現場では抵抗や混乱が起きることも想定され、民事執行法は執行官が警察に援助を求めることを認めている。
司法統計によると、2024年に実施された不動産の引き渡しなどの強制執行は約3万8千件にのぼる。数としては日常的な手続きである一方、現場は常に緊張を伴う。
建物明け渡し執行の具体的な流れ
家賃滞納などが続いた場合、貸主は建物明け渡しを求めて訴訟を起こす。判決が確定しても居住者が退去しない場合、裁判所に強制執行を申し立てる。実施日は事前に通告され、当日は執行官のほか、運送業者や鍵の解錠技術者などの民間人が立ち会う。
居住者が不在、あるいは鍵を開けない場合でも、法に基づき強制的に立ち入ることができる。室内に残された家財道具は全て運び出され、空になった物件が貸主に引き渡されて手続きは終了する。費用は原則として貸主が負担する。
今回の事件では、保証会社の社員が立ち会っていたとされるが、爆発音や刃物による襲撃という想定外の事態が連続し、現場は一気に制御不能に陥った。
過去にも起きてきた強制執行を巡る殺傷事件
強制執行を契機とする凶行は、今回が初めてではない。過去には、立ち退きや差し押さえを巡って、執行官や関係者が脅迫を受けたり、刃物や火炎物を用いた攻撃にさらされた事案が各地で報告されてきた。詳細な個別事案の多くは公判記録や報道の中に埋もれているが、「住まいを失う恐怖」や「生活の破綻」が引き金となり、被執行者が自暴自棄に陥る構図は共通している。
とりわけ建物明け渡しは、仕事や地域とのつながり、家族関係まで一気に断ち切られる象徴的な出来事として受け止められやすい。執行官や立会人は法に基づく職務を遂行しているにすぎないが、当事者の心理状態次第では、強い敵意の対象と化す。
問われる安全対策と危機管理、そして福祉連携の欠落
今回の事件は、強制執行の現場における安全対策と危機管理の不十分さ、さらに執行に至る前段階での福祉との連携不足という、二つの構造的問題を同時に浮かび上がらせた。
強制執行は法に基づく公的手続きである以上、執行官や立会人の安全確保は最優先事項である。本来、過去のトラブル履歴や精神的に不安定とみられる兆候がある場合には、警察の同行や事前の危険度評価、防刃ベストの着用など、より厳重な体制が検討されるべきだった。今回のように、ガスボンベの持ち出しや爆発音といった異常事態が発生したにもかかわらず、結果として命が失われたことは、現行の危機管理体制が現実のリスクに追いついていないことを示している。
一方で、強制執行という最終局面に至る前の段階で、行政や福祉がどこまで関与できていたのかも問われる。家賃滞納の背景には、失業や病気、社会的孤立といった複合的な問題が潜んでいることが少なくない。住む場所を失うという事実は、当事者にとって生活の破綻そのものであり、「全て終わりだ」「自分も死んでもいい」という供述が示すように、追い詰められた心理状態を生みやすい。
生活保護や一時的な住居支援、債務整理の相談など、福祉と司法がより早い段階で連携していれば、強制執行そのものを回避、あるいは少なくとも暴力的な結末を防げた可能性は否定できない。法の執行を担う側の安全をどう守るのか、同時に、住まいを失う人を社会としてどう受け止め、支えるのか。その両輪が機能していない現状こそが、今回の事件の本質的な問題だと言える。



