
熊本で拡散した中学生暴行動画について、関係者と見られる人物がXで釈明。しかし決闘罪や暴行罪の法的リスクも。釈明が自白に変わる危険性を解説。
「いじめじゃない、タイマンだ」釈明投稿のつもりが犯罪自白
熊本県で発生した中学生による暴行動画をめぐり、加害者またはその仲間と見られる人物のX(旧Twitter)アカウントが釈明とも取れる投稿を行い、新たな波紋を広げた。(現在アカウントは削除済み)

当該アカウントは、拡散された動画について、
「いじめではありません。タイマンです」
「今出回ってる動画はフル動画じゃありません何故切り取った動画だけ出回っているのかな出回ると不都合なんですかね」
などと投稿。
暴行は当事者同士の了承のもとで行われた“喧嘩”であり、被害者側が公開した動画は都合の悪い部分を省いた加工動画だと主張している。
だが、この言い分こそが、最も危険な一手だった。
なぜなら、その瞬間から彼らは「暴行の事実」を自ら認めたということだからだ。
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Xのリプライ欄で被害者母親と直接言い合いも
問題の釈明匿名アカウントは、被害者の母親から寄せられたリプライに対しても、驚くほど攻撃的な姿勢を見せていた。
どうやら140文字では言い足りなかったようで、メモ書きの画像まで添付し、感情をむき出しにした反論を展開している。

そこには、
「お前の憶測だけでデマ情報ばっか流して楽しいか?」
「子供の喧嘩に親が頭突っ込むんじゃねーよ」(※正しい慣用句は「首を突っ込む」)
など、被害者側に向けられたとは思えない言葉が並ぶ。
さらに、
「半グレグループに集団リンチされただとか(中略)その場に寿のやつ1人もおらんかったぞ?」
と、“寿”と呼ばれる半グレ集団の存在に言及しつつ、母親側の認識を真っ向から否定する投稿も見られた。
そして極め付けは、
「著名もお金払わないとできないとか(中略)もしかしてお金目当てか?」
という一文。
本来「署名」と書くべきところを「著名」と誤記しており、文章の稚拙さまでもが露呈する形となってしまった。
釈明すればするほど論点はずれ、言葉は荒れ、自分で自分の首を絞めている。被害者の母親と向き合う姿勢としては、あまりにも拙く軽率だ。
本来、沈静化を図るはずだった釈明は、いつしか対立の拡張へと姿を変えていた。
「タイマン」でも犯罪になる日本の法律
日本では、たとえ当事者同士が了承していたとしても、暴力を伴う決闘は刑法により決闘罪として処罰対象となる。
通称「決闘罪」である「決闘罪ニ関スル件」によると、
・決闘を申し合わせて争った者
・これを助けた者
・観戦・煽動した者
まで処罰対象となる可能性がある。
さらに、未成年同士であっても、暴行・傷害が認められれば暴行罪・傷害罪の構成要件を満たす。「了承していた」「喧嘩だった」という主張は、刑事責任を免れる理由にはならない。
むしろ、釈明投稿そのものが暴行行為の存在を認めているという点で、法的には極めて不利な内容とも言える。
「切り取り動画」という逃げ道の崩壊
今回の釈明では、「フル動画ではない」「切り取られている」との主張も繰り返されている。
しかし、刑事事件においては、
・一部映像であっても暴行が確認できれば立証は可能
・被害者が無抵抗状態であること
・周囲で複数人が取り囲んでいる状況
などが確認されれば、常習性や集団性が重く評価される。
たとえフル動画に両者の了解と取れる場面や被害者が煽る場面があったとしても、暴行を正当化する材料にはならない。
釈明のつもりが“自白”になる皮肉 釈明はむしろ加害者ホイホイ
さらに問題視されているのが、釈明投稿が新たに開設されたアカウントから行われている点だ。
しかし、現在の捜査実務では、
・投稿IP
・端末情報
・通信ログ
・アカウント作成履歴
などをもとに、警察のサイバー犯罪対策課が発信者を特定することは十分可能とされている。「匿名だから大丈夫」という認識は、すでに幻想に過ぎないのだ。
皮肉なことに今回の釈明投稿は、暴行の存在を認め、当事者性を匂わせ、動画の真偽に関与していることを示唆しており、結果的に犯罪行為への関与を自ら語っている構図になっている。
ネット上では、
「釈明のつもりが自白になっている」
「弁護士に止められる典型例」
「未成年とはいえ軽率すぎる」
といった冷静な指摘も相次いでいる。
問題の本質は「動画の切り取り」ではない
今回の問題の本質は、いじめかタイマンか、フル動画か切り取りかではなく、無抵抗の相手に対する暴行が行われ、それが撮影・拡散された事実そのものにある。
そして、釈明投稿によって事態は収束するどころか、
法的リスクと社会的責任をより明確に可視化した形となった。
無知は免罪符にならない その一文が突きつけた現実
釈明のつもりで投稿したその言葉が、結果的に犯罪行為の自白のように読めてしまった今回の件。日本では、たとえ両者の同意があっても決闘は法律で禁じられている。その事実を、もしかすると加害者たちは本当に知らなかったのかもしれない。
だが、未成年であっても「知らなかった」では済まされないのが法と社会の現実だ。無知は免罪符にはならず、無理解は責任を消してはくれない。
だからこそ問われるのは、彼ら個人だけの問題ではない。
こうした過ちを繰り返させないために、親や教師、周囲の大人、そして社会そのものが、「何が許され、何が許されないのか」「社会で生きるとはどういうことか」を、もっと真剣に教えていかなければならないのではないか。
今回の釈明投稿は、若さゆえの軽率さが招いた一幕であると同時に、社会の教育の空白をも静かに映し出している。今後、彼らの過失はどのように裁かれるのだろうか。



