
10月8日夜、京都・左京区の京都大学。記者会見を終えた北川進特別教授(74)が建物を出ると、冷たい秋風の中で学生たちが拍手を送った。
「おめでとうございます!」
「北川先生、最高!」
その声に北川は笑顔で手を振り、「ありがとう」と応じた。
2025年のノーベル化学賞。世界に名を刻んだ科学者の素顔は、厳しさよりも、穏やかな温かさで満ちている。
ストックホルムと京都を結んだ夜
10月8日午後7時すぎ。スウェーデン・ストックホルムの王立科学アカデミーの会場に、国際電話のベルが鳴った。
受話器の向こうから響いたのは、京都の静けさに包まれた研究室の声だった。
「長年の研究が認められ、大変光栄です。とても嬉しく思います」
流暢な英語で語る北川進。多孔性金属錯体という、世界が驚嘆した新材料の研究に人生を捧げてきた科学者は、終始穏やかに笑った。
記者が「オメデトウゴザイマス」と日本語で祝うと、「ありがとうございます」と即座に返す。その柔らかな声に、会場全体が和やかな空気に包まれたという。
「挑戦することが、化学や科学において最も大切だといつも学生に話しています」
その言葉の奥には、半世紀にわたり積み重ねてきた“努力の静けさ”があった。
「また勧誘電話かと思った」
発表のわずか1時間前、北川の研究室に一本の電話が鳴った。
「最近、変な勧誘電話が多くてね。『またか』と思って不機嫌に出たら、スウェーデン王立科学アカデミーの委員長で、本当に驚いたんですよ」
その飾らない笑い声に、会見場は一気に和やかになった。
黒のスーツに身を包んだ北川は、深々と頭を下げながら「大きな名誉をいただき感激しています」と語った。
そして言葉を続けた。
「研究者、学生、そして理解して支えてくれた家族に感謝しています」
会見を終える頃、夜のキャンパスに秋風が通り抜けた。報道陣のライトに照らされたその姿は、どこか“挑戦を楽しむ人”そのものだった。
「フランクなおっちゃん」北川研究室の流儀
北川進は、京大の学生から“フランクなおっちゃん”と呼ばれている。
研究室ではビールを片手に「いい仕事をしようじゃないか」と語り、学会では厳しくも的確な助言をする。
教え子の堀毛悟史教授(京大)は、留学中に北川がわざわざ会いに来てくれた日のことを今も覚えている。
「空港で握手して、『しっかり研究をやっていたら見てくれる人がいる』と言ってくださった。あの言葉が支えになりました」
別の教え子、東大の細野暢彦准教授は、自身の結婚式で北川がスピーチしてくれたことを誇りにしている。
「将来とても有意義な研究をしている」と語る恩師の声に、涙をこらえたという。
「若手のこだわりを尊重し、能動的に動けるように導く」
北川の教育哲学は、“押し付けない支援”に貫かれている。
少年時代からの好奇心
北川進の科学への原点は、少年時代の記憶にある。
母から「これからはエレクトロニクスの時代」と聞かされ、胸を躍らせた。
SF小説に夢中になり、宇宙や化学の可能性を信じた。
「興味のあることは自分で学べばいい」
中学生のとき、1年生なのに3年生の数学を勉強していた同級生に刺激を受けた言葉だ。
以来、授業の先を読み、自分で調べ、考える癖が身についた。
大学院進学後も、誰も行ったことのない錯体化学会に単身で参加。学生時代、討論会で著名な研究者に対し「理論的におかしい」と指摘した逸話は、今も語り草だ。
彼が学生たちに伝える「三つのC」。
Courage(勇気)、Challenge(挑戦)、Capability(能力)。
その3つを体現し続けてきた研究者こそ、北川進である。
“分子の積み木”が世界を変えた
北川進がノーベル化学賞を受賞したのは、「多孔性金属錯体(MOF)」と呼ばれる新しい材料の開発によるものだ。
金属イオンと有機分子を組み合わせ、原子レベルで規則的に「孔(あな)」を設計した結晶構造をつくることで、気体や分子を自在に取り込めるようにした。この“分子の積み木”の発想が、二酸化炭素の吸着や水素の貯蔵、化学反応の効率化など、環境・エネルギー分野に大きな道を開いた。
1990年代後半から続く30年以上の挑戦が、いま世界を動かしている。
挑戦を楽しむという生き方
会見を終えた夜11時過ぎ。キャンパスの門を出た北川を、100人の学生が待っていた。
「おめでとうございます!」
拍手と歓声が響く中、北川は一人ひとりの顔を見渡し、手を振った。
科学を愛し、人を信じ、挑戦を楽しむ。
その背中には、京都大学という知の伝統と、未来への静かな情熱が重なっていた。
「いい仕事をしようじゃないか」
学生時代に語ったその言葉が、今も京大の研究室のどこかでこだましている。