SNS発コミュニティ「大宮界隈」が孕んだ危うさ

SNSで結びついた10代の少女たちが、埼玉・大宮駅西口の一角に集まり、集会や投稿を通じて形成した若年層コミュニティ「大宮界隈」。その中心にいたのが、無職の飯田光仁容疑者(32)だった。彼は自らを“先生”や“おぢ”と呼ばせながら、未成年に接近し、最終的にはトイレ内での監禁および不同意性交の容疑で埼玉県警に逮捕された。
しかし6月、さいたま地検は飯田容疑者を不起訴とし、理由は明かされていない。直後、彼のSNSアカウントには「留置所で亡くなった」との内容が投稿される。投稿主は“恋人”を名乗る女性で、飯田容疑者の死とされる出来事は真偽不明のまま拡散され、事件はさらに混迷の様相を呈している。
とはいえ、本質はそこではない。「なぜ未成年が“界隈”に惹かれ、どうしてそれが支配の構造に変質したのか」が、いま問われるべき問題である。
一方、大宮界隈は違った 地方都市に生まれた異形の“たまり場”
東京・新宿の「東横キッズ」や池袋西口の「グリ下」など、都市部の繁華街には、昔から家でも学校でもない“第3の居場所”として、若者が自然発生的に集う場所があった。トラブルも多かったが、街の規模や流入人口の多さから見て、ある種の“必然”ともいえた。
だが、大宮は異なる。
かつて大宮といえば、今は亡き俳優・鬼丸氏が率いていたとされるカラーギャングや、暴走族が駅前ロータリーを占拠するように集まる、“田舎のヤンチャ街”の印象が色濃かった。繁華街ではあるが、渋谷や新宿のような若者文化の中心地ではなかった。
それでも、2020年代に入り、大宮駅西口・鐘塚公園周辺に10代少女が集まり始めた。その中心には、飯田光仁容疑者の存在があったとされる。彼はSNS上で交流を重ね、“界隈”という名でコミュニティを名づけ、イベントや撮影会、雑談などを通じて徐々に少女たちの心を取り込んでいった。
居場所を求める未成年と、それに寄生する“幼稚な大人”
10代という年齢は、社会的にも精神的にも極めて不安定だ。家庭や学校に馴染めない。友人関係に疲れている。自己承認を求めてSNSに居場所を探す。こうした心理は、今も昔も変わらない。1990年代のテレクラ少女、2000年代のプリクラ系家出少女、どの時代にも似た構造は存在していた。
違うのは、それに“居場所”を与えるふりをして接近し、支配しようとする大人の存在が可視化されやすくなった点だ。
飯田容疑者は少女たちの悩みに寄り添うふりをしながら、徐々に心理的な主従関係を築いていった。被害者の少女もSNSを通じて彼と知り合い、“界隈”に所属するようになったとされる。
さらに、飯田容疑者の周囲には、彼の“副管理人”を自称する無職男性、“撮影係”を名乗る中年、“身内”を気取る出入り業者風の男など、いわゆる“大人の界隈民”が複数存在していた。SNS上では「中学生に告白していた男がいた」「少女に飲酒を強要していた」などの投稿も確認されており、コミュニティがいかに“子どもとしか関われない大人たち”に利用されていたかが浮き彫りになっている。
逮捕後の警察巡回と、界隈の“終焉”
飯田容疑者が逮捕された後、大宮駅周辺では警察の巡回が強化された。SNSでは「毎日見回りが来る」「職質で解散」「あそこに行くと補導される」といった投稿が相次いでおり、実質的に「界隈」が機能しない状態となっている。
少女たちの間では「もはや集まれない」「界隈は終わったかも」といった声も聞かれ、大宮界隈は目に見えるかたちで崩壊しつつある。かつて“仮初の居場所”として機能していた空間は、突如として立ち入りを拒まれる場へと変貌してしまった。
真偽不明の“死亡説”と、構造の再生産
6月中旬、飯田容疑者のSNSアカウントに“恋人”を名乗る女性が投稿し、「彼は留置所で亡くなった」「面会で聞いたことを後日書き残す」「真実を全部話す」などと記した。この情報はSNS上で急速に拡散されたが、警察・検察ともに事実を公表しておらず、真偽は確認されていない。
騒動の最中にあっても、問題の本質は飯田容疑者の死の有無ではない。少女たちがなぜ“界隈”に吸い寄せられたのか、そしてなぜ“大人の顔をした子どもたち”がそこに群がったのか。問われるべきは、その構造である。
界隈が崩壊しても、同じような共同体はまた別の場所に生まれる。名前を変え、主宰を変え、SNSの奥底で再び出現する。形式的な取り締まりや補導だけでは、この問題は根絶できない。
未成年たちが安心して過ごせる居場所を、家庭でも学校でもない“第三の空間”として社会がどう提供できるのか。そして、大人たちは本当に子どもを“支配する対象”ではなく、“対話する相手”として向き合えているのか。その問いが、いま突きつけられている。