大手百貨店の1階。高級化粧品の上品な香りが漂う店内を進んでいくと、カラフルな帽子が並ぶ陳列棚が視界に飛び込んできた。
ベーシックなグレイ・白、ベージュの他に、ピンク、水色、黄色、淡い緑と、春らしいパステルカラーも並ぶ。
「弊社で開発した、洗える和紙『アクアメランジェ』という帽子なんです。見た目より柔らかくて、ずっと軽いでしょう?」
2024年2月に創立100周年を迎えたばかりの帽子メーカー、水野ミリナー 社長の五十嵐敬太郎さんは、自社製品の帽子を手に持ち、魅力を語る。
洗っても破れない、丈夫なのに軽い天然和紙の帽子『アクアメランジェ』。その誕生秘話をうかがった。
顧客の声から洗える和紙の帽子『アクアメランジェ』誕生
きっかけは顧客の声だった。
「入社後5年ほど、職人として百貨店さんにミシンを持ち込んで、お客様の前で帽子を縫って実演販売をしていました。そのときに販売していたのが、洗えない和紙素材の帽子だったんです」(開発者の河﨑雄也さん)
水野ミリナーの企画職として、自社商品を卸している百貨店にミシンを持ち込んでは、実演販売をしていた河﨑さん。取引先の百貨店をまわるたびに、顧客から上がる声があった。
「どうして夏の帽子なのに、洗えないの?」
紙素材は他の天然草木や植物繊維と違い糸から作成しており、素材を裂いたり、結んだりすることがないので毛羽立ちが少なくチクチクした不快感を軽減出来たり、吸水性と通気性に優れているという特長がある。
反面、素材が和紙だけに汚れても洗濯できないという欠点があった。特に子どもは汗をかきやすいため、洗えない帽子は捨てるしかない。
「どこの百貨店に行っても、お客様から同じことを言われるんです。天然和紙素材の品質にはご満足いただけているのに、洗えなければ、下手したらワンシーズンで捨てることになってしまいます。この要望を形にできれば、きっとお客様に満足していただけるんじゃないかと思い、開発に乗り出したんです」
2010年、河﨑さんの提案により、『洗える天然和紙素材の帽子』の開発がスタートする。
丈夫に作れば重くなる 手編みだからこそ個体差が出る 試行錯誤の帽子づくり
「和紙の繊維を真っすぐにそろえるために「すき」という工程があるのですが、その工程の際に、耐水強化剤を配合して洗えるように強度を増しているんです」
まずは帽子を編むための糸作り。耐水強化剤を混ぜた和紙を乾燥させ、糸状に細かく裁断する。糸の撚り方も「水撚り式」という特殊な撚り方を採用した。
「糸は、水撚り式で撚っています。このやり方で糸を撚ることで、通常よりも強度の有る糸が作れます」
女性や子どもの帽子にとって、重すぎるのは禁物だ。丈夫に仕上げようとして使う和紙の本数を増やすと重くなる。
しかし軽く仕上げようと本数を減らすと、洗った後に型崩れが起こりやすくなります。その加減が難しいのだという。
糸ができると、今度は染色の工程に入る。これにも独自の工夫を施した。和紙素材の帽子は通常単色のものが多く、色も茶色なら茶色、白なら白でベタ塗りされたものばかり。
そこで色落ちにも強い特殊なムラ染めの方法を選択した。その糸で編むことで、帽子全体に色の濃淡ができて、深みのある色が出た。
「実際に糸だけで見た場合と、その糸で編み上げて帽子にしたときとでは、全然色のニュアンスが違います。そのギャップを考えながら色を選ぶのも慣れるまでは難しかったですね。また、糸の太さを決めるのにも試行錯誤を繰り返しました。1mm違うだけで、帽子全体になると重さが30グラム違うこともあります。それだけ違うとお客様からの口コミで、『重い』『首が痛い』といったクレームがきてしまうんです」
現在では、通常の帽子と、糸をあらかじめテープ状に加工して頭頂部から縫い上げていくタイプの「ブレード帽」とで、編む糸の太さを変えている。
ブレード帽を通常の太さの糸で編むとどうしてもチープに見えてしまうため、より細い糸で、繊細な編み目を表現しているのだという。
こうして作った糸は、編み手のところに届けられ、一つひとつ手で編まれている。
「全部手編みなので、個人差があります。それをいかに出さないようにするかが大事で、『この段数を数えて、段数に合わせてやってください』など、細かくルールを決めて徹底しました」
こうして試行錯誤の末、ようやく洗える天然和紙素材の帽子「アクアメランジェ」が完成。河﨑さんはこの帽子を当初3サイズ、しかも12色展開で販売開始した。
「社内は大反対でした。帽子で売れる色って、もともとベーシックな色に限られるんです。だから、ピンクやオレンジ、青なんか作っても、絶対余るだろうって。でも、帽子が売れる夏場帽子売り場は全体が、ベージュやナチュラル色が多くなるんですよ。だから敢えて攻めた色を出して、百貨店さんには『カラフルで映えるように色展開しますので、いい場所をください』って営業しました」
洗える帽子「アクアメランジェ」は百貨店だけでなく、テレビ通販番組でも取り上げてもらった。その際も河﨑さんが出演し、帽子を紹介したという。
クラウドファンディングでは、
「私が紳士用の帽子をかぶり、妻が婦人用、子どもがベビー用をかぶって、一家総出で出演させていただきました」
結果は大成功。お客様の口コミでは「とてもよかった」「こういう帽子を待っていた」と絶賛され、同業者からは「やられた!」の一言を勝ち取った。
トライ&エラーできる環境がヒット商品を生む
この他にも、河﨑さんは何度も新しい商品への挑戦を続けている。なかにはアクアメランジェのように成功するものもあれば、全く売れなかったものもあるという。
「社長は失敗を恐れず、どんどん商品開発をしろと言ってくれるので、ひるまず挑戦できるんです」
帽子一筋100年を誇る水野ミリナーは、現在48歳の社長、五十嵐敬太郎さんが指揮をとっている。
「私自身、担当部署に反対されても無理やり工場に連れて行ってもらって、直接作ってもらったりしていましたから」
五十嵐さんは当時を振り返る。営業で百貨店を回っていれば、顧客から「こういう帽子がほしい」と直に声を聞く機会も多い。
作れば売れるとわかっていても、商品部が首を縦に振らないことに常に苛立ちを感じていた。だからこそ、社員には失敗を恐れず商品開発をするよう伝えているという。
「河﨑君の場合、最初の頃はめちゃくちゃでしたよ。冬なのに、革製のサンバイザーを作ろうって言うんですから。冬でも帽子をかぶりたくない人がいるんじゃないかって。結果、一つしか売れませんでした。でも、失敗しなければ、なぜダメなのかわかりませんから」
「もしやらせてもらえなければ、今でもずっと主張し続けていたかもしれませんね」
水野ミリナーは過去最高の業績で次の100年へ
1914年に創立した水野ミリナーは、今年で100周年を迎えた。先代までは創業者一族が代々受け継いできたが、五十嵐さんは先代から、23歳のときに次期社長として大抜擢された。
「弊社が100年続けてこられたのも、お客様の声を敏感に拾って、どんどん変化を続けてきたからだと思います」
そして先代に「自分の右腕・左腕を早めに作っておけ」と言われて選んだのが、河﨑さんだった。
「コロナ禍では、各社がみんな自社商品を縮小・撤退してしまって、百貨店さんが困っていました。厳しいタイミングだからこそ、儲かる・儲からないを考えてはいられない。ライバル会社が撤退した穴を、うちの商品で全部埋めました。結局その逆張りがよかったのか、おかげさまでコロナ前の水準をクリアして、2023年は過去最高の売り上げを記録しています」
五十嵐さんは現在も若手社員に新しい挑戦を促している。帽子一筋100年、業績は順調に推移しているが、認知度としては十分ではないと、五十嵐さんは考えている。
「私はもう、ほとんど制作会議には出ず、河﨑君が中心となって若手社員がどんどん自分からアイデアを出せる場を作ってくれています。自分で出したアイデアがヒットすれば、仕事はどんどん楽しくなるはずなんです」
帽子業界のパイをある程度獲得した現在、次はオンライン販売にも力を入れ、若者に対する認知拡大を目指しているという。
そのためには、若い社員が積極的にアイデアを出せる社内環境がなによりも必要だ。
帽子一筋100年の水野ミリナーは、過去最高の業績で、次の100年へ向かう。