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松岡昌宏「TOKIO解散」に初謝罪 “福島の皆さんに申し訳ない”に込めた真意と矜持

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TOKIO解散、初の肉声は松岡昌宏から 帽子を脱ぎ、深々と頭を下げた男の覚悟

TOKIO 松岡さん謝罪

TOKIOの解散が発表された6月25日から2日後、メンバーの松岡昌宏が初めて報道陣の前に姿を現した。場所は、翌28日に公演初日を迎える舞台「家政夫のミタゾノ THE STAGE レ・ミゼラ風呂」の会場、愛知・東海市芸術劇場。黒のTシャツにキャップ姿で現れた松岡は、報道陣に向かって帽子を脱ぎ、深々と頭を下げた。

 

国分太一による「コンプライアンス上の問題行為」が原因となり、日本テレビは「ザ!鉄腕!DASH!!」からの降板を発表。本人も同日、無期限活動休止を表明した。その5日後にはグループとしての解散が発表され、31年の歴史は突然の終焉を迎えることとなった。

「この度は、国分太一のことでご迷惑をおかけしております。スポンサーの方々、番組関係者、そして——福島の皆さんに、申し訳ないと思っております」。冒頭の謝罪で松岡が真っ先に口にしたのは、これまでTOKIOが深い関係を築いてきた地域住民への言葉だった。

 

「福島の皆さんへ」単なる社交辞令ではない、TOKIOの顔としての言葉

松岡が言及した「福島の皆さん」とは、まさにTOKIOが築いてきた“第二のふるさと”とも言える存在である。

2000年からスタートした番組『ザ!鉄腕!DASH!!』の人気企画「DASH村」は、福島県浪江町を舞台にしたものであり、TOKIOは同地域で農作業を続け、原発事故後も支援や復興に継続的に関与してきた。
震災直後には、彼ら自身の言葉で「DASH村を取り戻したい」と語り、松岡も含めたメンバーが何度も福島に足を運んだ。

それだけに、「福島の皆さんに申し訳ない」という謝罪は、単なる番組ファンや一般視聴者への言葉とは異なる重みを持っていた。

 

「またかTOKIO」では終われない

松岡は、解散の判断について「“またかTOKIO”という声が世間から出ている。もう限界だと感じた」と語る。
さらに、「これ以上TOKIOを名乗るわけにはいかないと、城島と話し合い、決断した」と明言した。

国分の問題に関しては「詳細は知らない」としながらも、「彼は奈落の底にいるような状態だと思う」と言及。一方で、「彼がいたとしても、今は何も言えないだろう」とも語った。

 

これまで沈黙を貫くことが多かった芸能界のスキャンダル対応において、松岡は自ら副社長兼広報という立場を明かし、「整理がつくまで、株式会社TOKIOとして廃業することになる」と説明した。
その上で、「このまま車に乗って帰るわけにはいかない」と語り、報道陣の前で20分間にわたって言葉を紡いだ。

 

解散の影で聞こえた“地域の声”と、信頼の終わり方

TOKIOの解散は、番組制作関係者やファンだけでなく、福島を中心とした地域社会にも深い衝撃を与えた。
『DASH村』を通じて農業のリアルを伝え、地方との継続的な関わりを見せてきたTOKIOは、地域住民にとって「ただの芸能人」ではなかった。

震災からの10年、20年と共に歩んできた関係の中で、TOKIOは「テレビの中の農家」であり、「ともに汗を流す仲間」だった。
だからこそ、松岡の言葉には“番組出演者としての責任”を超えた、“顔の見える関係性”への謝罪が込められていたといえる。

 

「逃げない」という選択

TOKIOというグループがなくなっても、人生は続く——そう語った松岡は、「どうか見守ってほしい」と静かに締めくくった。

不祥事の渦中に身を置きながら、沈黙を選ばず、自ら広報として立ち、誠実に語り切ったその姿勢は、失われゆく“昭和的誠実”の最後の残響にも見える。

謝罪とは誰のための行為なのか。ファンのためだけでなく、福島の人々のために。
TOKIO解散の報道があふれる中で、松岡昌宏が伝えたかった本当の“責任の所在”が、静かに、そして確かに、浮かび上がっていた。

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寒天 かんたろう

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ライター歴26年。月刊誌記者を経て独立。企業経営者取材や大学、高校、通信教育分野などの取材経験が豊富。

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