
備蓄米をめぐる国民民主党・玉木雄一郎代表の「1年たったら動物のエサになるようなもの」との発言が波紋を広げている。本人は制度の説明を意図したと釈明したが、SNSなどでは「古米=人が食べられないもの」といった認識が一人歩きする形となった。背景には、食品ロスが深刻化する中で、私たちが“食べ物の価値”をどう捉えているのかという根本的な問いが潜んでいる。
国民民主・玉木代表の「エサ米」発言、制度説明の意図を釈明
国民民主党の玉木雄一郎代表が、政府による備蓄米の運用をめぐり、「1年たったら動物のエサになるようなもの」と発言した件について、釈明する場を設けた。党の会合で玉木氏は、発言の意図が制度説明にあったことを強調したうえで、「備蓄米は“棚上備蓄”として100万トン規模で管理されており、毎年20万トンを追加する際に不要な分は飼料用として放出される」と説明した。
一方、党内では余波も大きく、榛葉賀津也幹事長が「誤解を生む表現だった」と陳謝し、「発言が文脈から切り取られた」と弁明。食料安全保障に関わる制度の理解と発信の在り方に課題が残るかたちとなった。
“古米はエサ”という固定観念が露呈 食の価値、見直されぬまま
今回の発言はSNSを中心に瞬く間に拡散し、発言そのものの是非以上に、「古米=家畜用」といった認識が国民に広く共有されている現実を浮き彫りにした。中には、「1年もたったらもう食べられない」「人間の口に入るものではない」といった声もあがり、食品の劣化や品質についての誤解も少なくない。
実際には、適切な保存状態で管理された備蓄米は、1年を経ても安全に食用として流通可能であり、災害時の非常食や支援物資として利用される例も多い。だが、外見やイメージの問題から、一定期間を経た古米が「商品価値が下がる」として処分されるケースも依然多い。
日本のフードロス年間500万トン超 背景に“もったいない”の消失も
農林水産省の推計によると、日本国内で発生する食品ロスは年間約523万トン(2022年度時点)。そのうち家庭系ロスが約244万トンを占めており、「まだ食べられるのに捨てられる食品」が多く存在する現状がある。
古米もまた、見た目や風味のわずかな違いを理由に“廃棄対象”とされがちだ。フードバンクやこども食堂といった支援現場では、こうした米の提供が命綱となるケースも多いが、供給の広がりには限界がある。玉木氏の発言を機に、備蓄制度の適正運用と並行して、国民の食品に対する意識改革が求められている。
制度の説明不足と、私たちの「食」への無理解
備蓄米が飼料用に転用される制度は、国の食料安全保障政策に基づく合理的な運用である。だが、その説明が不十分なまま発言が先行したことで、「人間の食べ物が家畜のエサ扱いされている」という誤解を招いた。発言の是非を問う前に、消費者の側も「食の持続可能性」や「命をいただく重み」について、立ち止まって考える必要がある。
古米もまた、誰かの命を支える一膳になり得る。その視点がなければ、目に見えないフードロスの拡大と、食の分断は止まらない。