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栃木・大分の公立学校で暴行動画が相次ぎ大炎上 2校が会見、文科相も危機感表明 これは「いじめ」ではない暴行事件

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大分市教育委員会

栃木県と大分県の公立学校で、生徒が別の生徒に一方的な暴行を加える様子を捉えた動画が相次いで拡散し、大炎上している。2校が会見を開き、松本洋平文部科学相も強い危機感を示したが、学校や教育委員会の対応は依然として甘く、これは「いじめ」ではなく明白な学校内暴行事件である。

 

相次いで露呈した学校内の暴力 偶発ではなく構造の問題

栃木県と大分県で立て続けに明るみに出た暴行動画は、単なる個別事案ではない。無抵抗の生徒に対し、殴る、蹴るといった一方的な暴力が加えられ、その様子を周囲が囃し立て、撮影し、共有する。
学校という閉鎖空間の中で、暴力が日常的に抑止されず、外部に流出して初めて社会問題化する構造が、両県で共通して浮かび上がった。

それにもかかわらず、学校や教育委員会の説明は「いじめに該当するか精査」「重く受け止めている」といった表現に終始している。しかし、映像が示しているのは、教育的指導で片づけられる曖昧な事案ではなく、明確な暴行行為だ。

 

栃木県立高校トイレでの暴行 学校が把握したのは拡散後

栃木県教育委員会によると、問題の動画は2025年12月19日、県立高校のトイレで撮影された。男子生徒が無抵抗の生徒の顔面を拳で殴り、倒れた後も蹴りを加える様子が映っている。周囲には複数の生徒がいたが、制止する姿は確認できない。

学校側は7日、動画に映る生徒が自校の生徒であることを認め、「いじめの定義に該当し得る」との見解を示した。しかし、暴行が起きた当日に学校が事態を把握していたわけではなく、問題が表面化したのは動画がSNSで拡散された後だった。

この事実は重い。暴行が行われ、撮影され、共有されるまで、学校の管理や指導が機能していなかったことを意味する。

 

加害生徒への私刑が暴走 だが責任の所在は学校にある

動画拡散後、暴行を加えたとされる生徒Aさんへの非難は急速に過熱した。過去の写真、家族の名前、自宅住所といった個人情報が晒され、7日にはYouTuberが自宅を訪れインターホンを鳴らす動画まで投稿された。県外からの野次馬が学校周辺に現れ、県警がパトロールを強化する事態にもなっている。

未成年への過剰な晒しや私刑は明確な問題である。しかし、この異常な状況を招いた最大の要因は、学校と教育委員会が当初から「暴行事件」として毅然と対応しなかった点にある。
責任の所在を曖昧にした結果、怒りの矛先がネット上で暴走した側面は否定できない。

 

文科相が示した危機感 だが現場対応は追いついていない

9日の閣議後会見で、松本洋平文部科学相(52歳)は「安全安心であるべき学校での暴力行為やいじめはあってはならない」と述べ、全国の教育委員会を対象とした緊急会議の開催を明らかにした。
また、個人が特定される形での動画拡散について「新たな人権侵害につながる可能性がある」と警鐘を鳴らし、被害生徒の心のケアと警察との連携の重要性を指摘した。

しかし、国が危機感を示しても、現場ではなお「いじめかどうか精査する」という段階にとどまっている。暴力を暴力として扱わない姿勢が、被害の深刻化と不信を生んでいる。

 

大分市立大東中学校でも複数の暴行 判断は先送り

大分市内の市立大東中学校でも、男子生徒が別の生徒に暴行を加える様子を捉えた動画が拡散した。大分市教育委員会は9日午後4時から臨時記者会見を開き、粟井教育長が「極めて重く受け止めている」と謝罪した。

説明によると、動画は去年7月、授業の休憩中に校舎内の廊下で教育用タブレットを使って撮影され、その後スマートフォンに転送されたという。さらに、学校周辺の公園でも、同一の加害生徒による別の暴行動画が確認されている。

それでも教育委員会は「いじめに該当するかどうかはこれから精査する」と述べるにとどまった。複数の被害者、複数の暴行、撮影と共有という要素がそろっていても、なお判断を先送りする姿勢は、問題の本質から目を背けていると言わざるを得ない。

 

「いじめ」という言葉が暴行の深刻さを覆い隠す 一歩間違えれば殺人に至る行為だ

学校や教育委員会が用いる「いじめ」という言葉は、今回の事案の危険性を著しく過小評価している。無抵抗の生徒を殴り、倒れた後も蹴り続ける行為は、感情の行き違いや人間関係のトラブルではない。身体に重大な危害を加える明確な暴行であり、一歩間違えれば命に関わる結果を招いても不思議ではなかった。

実際、顔面への打撃や転倒後の蹴りは、頭部外傷や内臓損傷を引き起こす危険性が高い。学校という管理下にある空間で起きたからといって、その危険度が下がるわけではない。むしろ、周囲に止める大人がいない状況では、暴力は容易にエスカレートする。
それにもかかわらず、「いじめに該当するか精査する」という表現は、行為の本質をぼかし、緊急性を鈍らせる効果しか持たない。

「いじめ」という言葉は、教育的配慮や指導の文脈で語られることが多い。その結果、警察への通報や外部機関との連携が後回しにされ、被害者の安全確保よりも、学校内での収束が優先されてきた歴史がある。今回もまた、その構図が繰り返されている。

もし被害生徒が重篤な後遺症を負っていたら、あるいは命を落としていたら、果たして同じ説明で済んだだろうか。暴力の結果が偶然そこまで至らなかっただけで、行為の危険性そのものが軽減されるわけではない。

暴行を「いじめ」という言葉に押し込めることは、被害の深刻さを覆い隠し、再発防止の機会を奪う行為に等しい。必要なのは、感情論でも私刑でもなく、学校内で起きた暴力を正しく暴行事件として認識し、相応の責任と対応を取ることだ。

教育の名の下に危険な現実から目を背け続ければ、次に起きるのは「炎上」では済まない。今回の動画が突きつけているのは、その限界線である。

SNS上での怒りが未成年への私刑へと変質する現象は危険だ。しかし、その怒りが生まれた背景には、学校と教育行政が責任を曖昧にしてきたという強い不信がある。

暴力は暴力として扱う。被害者を守り、加害者には相応の責任を負わせる。当たり前の対応を学校が怠ったとき、社会はネット上で代替的な裁きを始める。

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ライター:

千葉県生まれ。青果卸売の現場で働いたのち、フリーライターへ。 野菜や果物のようにみずみずしい旬な話題を届けたいと思っています。 料理と漫画・アニメが大好きです。

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