
TBS系の長寿情報バラエティー「アッコにおまかせ!」が、2026年3月をもって放送終了する。1985年の放送開始以来、40年間にわたり日曜昼の顔として親しまれてきた番組が、ついに幕を下ろす。
司会の和田アキ子(75)は、自身の口から「目標だった40周年を迎えたので、これを区切りに」と語り、長年支え続けた番組との“別れ”を発表した。
生放送で数々の名場面と騒動を生み出し、炎上をも恐れず本音を語り続けた和田。そこには、時代に逆らいながらも“テレビの生き様”を貫いたひとりの表現者の姿があった。
節目の裏にある苦悩、病との闘い、そして最後まで貫いたプロとしての誇り──「アッコにおまかせ!」が残した40年の軌跡を振り返る。
日曜の顔として40年──“おまかせ”の歴史
1985年10月、和田アキ子(1950年4月10日生まれ、2025年11月現在75歳)が司会を務める「アッコにおまかせ!」がスタートした。前身は1984年10月から放送された「ゆうYOUサンデー!」。40年という年月の中で、番組は日本のテレビ文化そのものを映す鏡のような存在となった。
当初は生中継コーナーやゲストとの軽妙なトークが中心で、日曜昼を明るく彩る娯楽番組だった。しかし平成に入り、社会情勢や芸能スキャンダルを取り上げる“時事バラエティー”へと舵を切る。ニュースに鋭く切り込む構成と、和田の率直なコメントが絶妙なバランスで視聴者を引きつけ、「アッコの意見を聞けば世の中がわかる」とまで言われた時期もあった。
40年間続いた長寿番組という記録は、民放の同時間帯では異例。1980〜90年代の最盛期には視聴率20%を超えることもあり、まさに「国民的昼番組」として定着した。2025年10月には40周年記念特番が放送され、翌11月2日の放送で和田本人が「自分なりに区切りをつけたい」と番組終了を発表。時代の節目にふさわしい“有終の美”を迎えることになった。
相方の交代と時代の変化
番組は40年間、和田アキ子という強烈な個性を中心に据えつつ、時代ごとに“男の相棒”が変化してきた。松尾貴史、生島ヒロシ、田中義剛、そして1993年からは峰竜太。このコンビが32年続いたことで、番組は安定感と親しみを兼ね備えたスタイルを確立した。
峰が“受け役”として場を柔らかくまとめ、和田の豪快な発言をうまく引き出す関係性は絶妙で、まるで長年連れ添った夫婦のようでもあった。お互いが阿吽の呼吸で進行を務め、スタジオには独特の温かさがあった。
番組内容も時代とともに変わった。1990年代後半からは芸能ニュースが増え、2000年代以降はSNSの普及とともに「ネットの声」も扱うようになった。芸能界の裏話や社会問題を笑いに変えるスタイルが人気を博し、同時に“時代の空気”を映す番組として評価された。
だが、令和に入りテレビ離れが進む中で、番組の視聴層も高齢化。新しい世代との感覚のずれが指摘されるようになり、制作陣は内容の再構成に苦心していた。そんな中でも、和田と峰のコンビだけは変わらず、日曜の昼に安定したリズムを刻み続けてきた。
炎上も愛された「ご意見番」和田アキ子
「アッコにおまかせ!」の最大の特徴は、司会・和田アキ子の“生身の言葉”だった。忖度を嫌い、思ったことをそのまま口にするスタイルは、多くの視聴者にとって痛快だった一方で、たびたび“炎上”を呼ぶ火種にもなった。
芸能界の後輩に厳しい言葉をかけた場面では「時代錯誤」「パワハラ的」と批判されることもあり、特にSNS時代に入ってからは発言が瞬時に拡散されるようになった。
ジャニーズ問題に対して「昔から知っている人もいる」と発言した際には、ネット上で「擁護ではないか」と炎上。しかしその直後、自身のラジオ番組で「私は誰も庇っていない。ただ正直に言っているだけ」と釈明するなど、あくまで“自分の言葉”を貫いた。
また、若手タレントに対する辛辣なコメントもたびたび話題になった。
「あの子、まだ芸人として半人前」などと語った発言は炎上したが、本人は「嫌われても構わない。思ったことを言うのが私」とブレなかった。
こうした一連の騒動のたびにネット上では賛否が渦巻くが、「本音を言える最後の芸能人」として和田を支持する層も多い。炎上を恐れずに意見を発信し続けたその姿は、テレビの生放送が持っていた“緊張と自由”を象徴していた。
手術と闘病、見えない苦悩を抱えた現場
和田アキ子は、決して“鉄人”ではない。これまで幾度となく体調不良や持病と闘ってきた。人工関節の手術を受け、歩行にも支障があると明かしたこともあった。さらに、視界の不調や喉の乾燥を訴え、自己免疫疾患であるシェーグレン症候群を公表したこともある。
そんな体調の中でも、彼女はスタジオに立ち続けた。
「体調が悪くても、休むことはない」という信念を貫き、収録当日も控室で酸素吸入をしながら本番に臨んだ日もあったという。
関係者によると、「アッコさんが休んだら“アッコにおまかせ!”ではなくなる」との思いが本人の中に強くあり、病を理由に番組を途絶えさせることを何より嫌っていた。
和田にとってスタジオは戦場であり、同時に自分が“生きている”ことを実感できる場所でもあったのだ。75歳を迎えた今、そんな日々を40年も続けてきたという事実は、誰よりも重い。
終了決断の背景にあった“限界”と“誇り”
番組終了の理由として掲げられたのは「40周年という節目」だった。しかしその背後には、視聴率の低迷、体力的な限界、そして時代の変化という三重の現実があった。
和田は70代半ばとなり、周囲からは「そろそろ体をいたわってほしい」という声も上がっていたという。それでも本人は「この仕事があるから生きていける」と語り続け、最後まで現場に立つことを選んだ。
終了発表の際、彼女は深々と頭を下げ「これまで支えてくれたスタッフ、出演者、そして視聴者の皆さんに感謝しています。40年間、本当にありがとうございました」と語った。
その言葉には、炎上を乗り越え、体調を抱えながらも続けてきた彼女の誇りと覚悟がにじむ。
「アッコにおまかせ!」は、ただの情報番組ではない。ひとりの歌手であり、ひとりの人間・和田アキ子の人生そのものだった。



