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ヒーローは境界線上の存在 平成仮面ライダーのプロデューサー白倉伸一郎氏の語る石ノ森章太郎からの問いかけ

コラム&ニュース 有識者VOICE
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白倉伸一郎さんと七條先生
白倉伸一郎さんと七條直弘先生(撮影:唐牛航)

平成仮面ライダーシリーズの生みの親といわれる白倉伸一郎(東映株式会社上席執行役員キャラクター戦略部担当 映像企画部ヘッドプロデューサー)が手がけた仮面ライダーは、従来の作品とは異なるテーマ性を持ち、シリーズごとに異なる実験的な要素を取り入れている。『仮面ライダーアギト』では「人間の進化」をテーマに神話的要素を加え、『仮面ライダー龍騎』ではライダー同士がバトルロイヤルを繰り広げ「ヒーローとは何か」を再定義しようとした。

今回は七丈直弘(一橋大学大学院ソーシャル・データサイエンス研究科教授)氏を交え、白倉氏の考えるヒーローの姿と、その淵源にある石ノ森章太郎氏の思い出について伺った。

 

新しいドラマを目指して生まれた平成仮面ライダー

白倉伸一郎さんと七條直弘先生

白倉 「仮面ライダー」を作るというよりも新しいドラマを作っている感覚でいたのです。私は90年代半ばにヒーロー作品のプロデューサーもしていたのですが、その時はこれまでのヒーローをどうアレンジして、現代性や新しさがあるモノにしようかとばかり考えていた。

ですが仮面ライダーを作るとなった時に、敵と味方、仮面ライダー対ショッカーの関係性のままで考えていてもそこから新しいモノが出てくることはないのだから、考え方を変えて人間対人間として捉えなおしたら、そこから関係性を再構築できるし、これまでのドラマでは描かれなかった対立式も作れるのじゃないかと考えたのです。

新しい仮面ライダーを作るのではなく仮面ライダーという題材を使って新しいテレビドラマを作る。そうすれば日本の旧弊なテレビドラマ界にも風穴が開けられるのじゃないかと考えた。ゴールデンタイムだったら冒険できないかもしれないけど、仮面ライダーでやれば多少のことは許されるのじゃないかと。

七丈 それに当時は戦隊ヒーローも大人気でシリーズが続いていましたから、差別化もしなければならなかった。

白倉 ライダーを新しく始めるなら戦隊ヒーローの邪魔をしてはいけないわけです。敵の組織のボスがいて、その下に幹部がいてさらに怪人、そして下っ端がいるというピラミッド構造も元々は仮面ライダー発祥なのに、戦隊ヒーローに取られているから、それもやってはいけない。

あらゆる点で戦隊ヒーローの裏をかかないといけないのですが、逆に考えればこれまでの伝統というのを踏まえなくていい。過去のスタイルにとらわれない仮面ライダーが作れることになる。

七丈 ターゲットとなる年齢層も高めに設定されていました。それがストーリーにも表れていた。

白倉 テレビドラマを変えてしまうつもりなのですから、それは大人が見ても楽しく面白く意味があるモノじゃないといけない。

ただそれを子どもにも理解してもらおうとするのは無理があるので、二層構造にしました。つまり大人が見るとこう見えるが子どもが見たらまた別の見え方になる、ということです。子どもの目からは普通に悪い怪人をカッコいいライダーがやっつけているように見えるのは絶対崩さない。よく見てみると実はそんな話ではないのだけれど、それを子どもに理解させようとは考えない。

話が難しくなったとしても、とにかく子どもには難しく思わせないようにする。無理矢理になっても悪い怪人をカッコいいライダーがやっつけているという答えは絶対にキープする。

大人の鑑賞にも耐えるモノといってやりがちなのが、悪い怪人だと思って戦っていたのだけど、実は真心を持っていたイイ怪人というヤツです。ちょっとハートフルな話をやりたくなる。けれどこういう話は絶対にやらないようにしました。それは子どもに通じないから。先週の怪人はやっつけたのに今週の怪人はイイ奴だから助けてあげようってなんで?となってしまう。

だからそういう話はやらない。怪人は良かろうが悪かろうが絶対に倒す。大人にはそこでイイ奴だったのに倒さなければならなかった悲劇と受け取ってもらって、子どもにはやったー!ライダー大勝利。絶対に怪人は倒すパターンは守ることにしたのです。

 

善と悪の境にいるヒーロー

七丈 そういった物語やテーマは元々白倉さんが持っていたものなのでしょうか?

白倉伸一郎さん

白倉 神話と文化人類学と民俗学は、ライダーをやる時に一生懸命勉強しましたね。我々は現代人の大人なのでどうしても辻褄合わせとか、理屈で考えてしまうのですが、基本的に物語は嘘なわけです。子供ならいざ知らず、大体の人は物語を嘘だと分かっていて、嘘を受容している。

では何故その嘘を好むのか。それは人間の頭が物語を求めているからです。そこで求められる物語は辻褄や、理屈、設定ではありません。そもそも嘘なのだから嘘に辻褄があったとしても、よくできた嘘、理屈っぽい嘘でしかない。

求められる物語の本質というのはフォークロア、おとぎ話や神話にあると思います。特に神話。神話は必要に迫られて生まれてきたモノです。神話の本質は「神が何故この世界を作ったのか」を説明することであって辻褄や理屈をなぞることではない。しかしそれが数千年も人々に愛され語り継がれてきたわけです。そこを踏まえておくと、より物語の本質に迫った、人の心に刺さる物語になる。早い話が当たる作品が作れるのじゃないかということですけれども。

七丈 それらの神話やおとぎ話の中にいるヒーロー像が平成仮面ライダーにも反映されているのですね。

白倉 おとぎ話や神話の中では良いも悪いも全て境界線から、つまり「こちら側と向こう側の間」から来る、という主題がよく見られます。ユダヤ・キリスト教ではモーゼが川を流れてくるし、桃太郎もそうですね。本来は全ての人間も善でも悪でもなく、その間をふらふらとしている曖昧模糊とした存在なのですが、それだとどうしても解り難い、納得できないので合理的・科学的に考えてパキッと分けようとする。そうすると無理が出る。桃太郎がどこから流れて来たのかなんて、誰も知らないし考えないでしょう?それなのに現実だとそれでは解らないからと境界線を引いてしまう。

七丈 白倉さんが作った『仮面ライダー龍騎』では「正義の味方同士が戦う」構造を通じて、「正義とは何か?」という境界線を問い直していました。

また、『555』では「人間と怪人の境界が曖昧である」ことを描いて「怪人=悪」という固定観念を打ち壊していました。安易なラベリングを拒否して、曖昧さを曖昧のままに描いている。

白倉 本来人間は境界線を引きたくてしょうがない生き物なのだと思います。魔女狩りとか、宗教戦争とかプロテスタント対カトリックとか。ずっとそれが繰り返されている。けれどそうやって境界線を引きたいと思ってしまうことが色々な不幸の源泉だと思います。

ライダーをやる時は子供番組でもあるので、そういう感覚を盛り込んではいけないかなとは思っていました。番組は決して主義主張やポリシーを宣伝するためのものではなくて、ただのエンターテイメントですから。しかしよろしくないと思っているモノを再生産してはいけない。

 

「君はどう思うの?」

七丈 白倉さんが仮面ライダーを手がけることになったきっかけが、若い時に石ノ森章太郎先生とお仕事をしたことと聞きました。

白倉 きっかけになったというより、仮面ライダーを手がける時には真剣に、命をかけてもやらなければならないという負い目をその時に背負ってしまったのです。

私は東映に入社したばかりの25歳の時、ライダー20周年の企画に参加したのですが、石ノ森先生の前で先生が提案したストーリーを「それじゃ受けません」と蹴ったのです。

七丈 相手は仮面ライダーを生んだ本人なわけですよね。その先生の提案に対して25歳の若僧がダメ出しをした。

白倉 石ノ森先生が提案してきたストーリーは、子供の時からずっと仮面ライダーを見て大人になった青年が、夜な夜な仮面ライダーのコスプレをして改造バイクで街中を走っていた。ある日ヤクザか何かにからまれていた女の子を見つけて、ライダーのつもりで介入してしまう。そして女の子をうまく助けて調子に乗ったそいつが、だんだんもっと大きい事件に巻き込まれていく、という話でした。

それを読んだ私は「いや先生、これは仮面ライダーじゃない。仮面ライダーごっこです」と思わず言ってしまった。

七丈 それを聞いた石ノ森先生はどういう反応を?

白倉 「君はどう思うの?」と。それで新しいストーリーで企画をやりなおして『真・仮面ライダー/序章』ができた。これはVシネマで、登場するライダーはヒーロー然とした姿ではなく当時流行っていたグチョグチョな姿で、変身というより特殊メイクに近いような、不気味な姿のライダーでした。

『真』はビジネスとしては上手くいったし、それまでになかったモノを世に出せたかもしれませんが、みんなが見たい仮面ライダーとはちょっと違った姿だったと思います。

タイトルに「序章」と付けたのは石ノ森先生でした。これは序章だね、ここから先に本当の物語っていうのがあるよね、という意味合いだったと思います。

七丈 白倉さんの提案を受け入れた石ノ森先生の想いとは何だったのでしょう。

白倉 石ノ森先生の本当の意図はこうだったのでは、と気づくのは『真・仮面ライダー/序章』が完成してからしばらく経ってからでした。当時の自分は「俺の意見が通った」と考えて天狗になっていました。あの石ノ森先生が俺を認めて提案を引っ込めたわけですから。プロデューサー1年生としては、まあまあのスタートが切れたのじゃないかな、と考えて天狗になったわけです。

……しかし年月が経つと、石ノ森先生はなぜ俺の提案を認めたのだろうと考えるようになった。自分が出した提案は本当に正しい企画だったのか、先生の元々の意図は何だったのかとを繰り返し考えているうちに、だんだんと分ってきたような気がするのです。

私が気がついたのは、この企画が仮面ライダー「20周年」だったことです。石ノ森先生の出された企画は、仮面ライダーファンの視聴者が本当の仮面ライダーになる話でした。私はそれをごっこ遊びだと切り捨ててしまいましたが、石ノ森先生はそこに「誕生から20年経って、今度は君自身が仮面ライダーになりなさい」というメッセージを込めていたのではないか、と思うようになった。

だから石ノ森先生は私のような若僧が先生の提案に反対して、自分のライダーを提案したから意見を通してくれた。「君はどう思うの」と聞いてくれて、じゃあそれでいこうかと先生は言ってくれましたが、企画の中身はどうでもよかったんですよ。

先生から見たら私は20年前、子供の頃に仮面ライダーを見ていたその当人だった。子供の頃に仮面ライダーを熱心に観ていた視聴者である私が、20年を経てこういうのが仮面ライダーだ、こういう仮面ライダーを作りたい、あるいはこういう仮面ライダーを見せた方がいいと目の前で言っている。だからその想いを具現化する。それが20周年記念になるのじゃないかという考え方なのですよ。

七丈 20周年の内容よりプロセスのほうがむしろ重要だったと。

白倉 「20周年」を石ノ森先生からのメッセージとして具現化するのか、それとも当時の子供が成長して制作側に回ったことで具現化するのか、の違いでしかない。20年前にテレビを見ていた視聴者に対する石ノ森先生の愛から生まれたモノとしては、どちらも同じなのです。

経験を積んでからやっとそれが分った。「自分ごときの器の小さい奴よりも、石ノ森先生はものすごく大きい人だった」と気づかされたのです。

いつかこれは謝らないといけない。先生は覚えていないかもしれないけど、その時にまだ分からなかった先生のお気持ちが、今は少し分かるようになりました、とお伝えできる機会がないかなと思っていたのですが、先に石ノ森先生が亡くなってしまった。

……仮面ライダーシリーズに限らず、先生の没後も「原作石ノ森章太郎」になっている作品はたくさんある。しかし先生はもういらっしゃらないので、いうなれば何でもできるわけです。「僕の考えた仮面ライダー」をやりたい人はいっぱいいますし、実際に世に出してしまって「俺も仮面ライダーの作り手になった」と言う人もいっぱいいる。

けど、仮面ライダーの本当の作り手は先生しかいない。おそらく先生は笑って許してくれるとは思います。しかし、いない時の方がかえってキツい。なぜなら先生を説得ができないからです。ご存命の時だったら、このライダーは違うのじゃないですか?と先生に伺ったら、「君はどう思うの?」と訊き返してくれるのですから。

石ノ森先生が不在だから勝手にやっていいことはなくて、より厳しく、先生の世界観・テーマに合っているのか、その答えを自分で見つけ出さなければならないのです。

七丈 白倉さんはそれをずっと背負いながら平成ライダーシリーズを世間に問い続けていた。作品を世に出すことで天国の石ノ森先生に伺い続けていたのですね。背負わされた「君はどう思うの?」と問いかけに答えるために。

本日はありがとうございました。(構成:山口豪志 / 加藤俊 / 菰田将司)

本記事の完全版はTHE RACEの誌面で後日公開され、ご覧になれます






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ライター:

1980年千葉県生まれ 筑波大学大学院博士課程中退(台湾留学経験有り)。専門は中国近代政治外交史。その他、F1、アイドル、プロレス、ガンダムなどのジャンルに幅広く執筆。特にガンダムに関しては『機動戦士Vガンダム』blu-ray Box封入ブックレットのキャラクター・メカニック設定解説を執筆(藤津亮太氏と共著)。

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