
冬の産科病棟で、新生児の小さな泣き声が響く。その数が、年を追うごとに確実に減っている。
朝日新聞の推計によると、2025年に国内で生まれる日本人の子どもは約66万8千人にとどまり、統計のある1899年以降で過去最少を更新する見通しだ。出生数は10年連続で最少を更新する可能性が高く、少子化はもはや「進行中」ではなく、「想定を大きく前倒しした局面」に入ったことを示している。
10年連続の最少更新 66万8千人という数字の重み
今回の推計によると、2025年の出生数は約66万7542人。前年2024年の確定数(68万6173人)から約2万人減り、10年連続で過去最少を更新する可能性が高い。
推計は、厚生労働省が公表した2025年1~10月の人口動態統計速報値や、1~7月の概数を基に、同省が従来用いてきた算出式を当てはめたものだ。
数字だけを見れば「わずかな減少」にも映る。しかし、出生数は社会の底流を映す指標だ。病院、保育所、学校、そして地域社会の将来像まで、この数字は静かに、しかし確実に影を落としていく。
将来推計を8万人下回る現実 「2041年水準」が今そこに
国立社会保障・人口問題研究所が2023年に公表した将来推計人口(中位推計)では、2025年の出生数は74万9千人と見込まれていた。今回の推計は、これを8万人以上下回る。
同研究所が「出生数66万人台」と想定していたのは2041年。少子化の進行は、およそ16年分も前倒しで現実化している計算になる。
長期予測を追い越すスピードで進む人口減少は、修正では追いつかない段階に入りつつある。
婚姻数は横ばい 「結婚しても産まない」構図
一方で、2025年の婚姻数は約49万5千組と推計され、2024年(48万5092組)から大きな増減はない見通しだ。
結婚の数が劇的に減っているわけではない。それでも出生数が減り続ける背景には、「結婚=出産」という前提が崩れている現実がある。
物価高、税・社会保険料負担、将来不安。読者コメントに並ぶ声は、単なる感情論ではなく、生活実感そのものだ。子どもを持つことが「希望」より先に「リスク」として意識される社会構造が、数字として表面化している。
政府の少子化対策と限界 人口減少を前提とする時代へ
政府は年3.6兆円規模の少子化対策を進めているが、出生数の下げ止まりには至っていない。2025年11月には人口戦略本部を立ち上げ、人口減少を前提とした政策検討に踏み出す方針だ。
「子どもを増やす」政策から、「減る人口で社会を維持する」政策へ。舵は切られつつあるが、その転換は決して明るい決断ではない。
【2026年・丙午】迷信は再燃するのか?出生数への影響予想
来年2026年は丙午(ひのえうま)に当たる。1966年には迷信の影響で出生数が前年比25%減少したという歴史がある。
ただし、現代において同規模の急減が起きる可能性は低いとみられる。
理由は明確だ。
第一に、すでに出生数自体が極端に少なく、「産み控え」をする層が限定的であること。
第二に、迷信よりも経済要因や将来不安の方が、出産行動に与える影響がはるかに大きいことだ。
一方で、SNSやメディアで丙午が話題化することで、「心理的な先送り」が一部で起きる可能性は否定できない。出生数が急落するというより、「減少が続く流れを止められない一年」になると見るのが現実的だろう。
数字の先にあるのは「産まれない理由」ではなく「産めない現実」
66万8千人という出生数は、迷信や価値観の変化だけでは説明しきれない地点にまで落ち込んだ数字である。結婚しても子どもを持たない、あるいは持てない選択が珍しくなくなり、将来不安や経済的制約が日常の判断を縛っている。来年の丙午が出生数に与える影響は限定的だろう。むしろ象徴的なのは、丙午という「きっかけ」がなくとも、出生数が自然減し続ける構造がすでに出来上がっている点だ。
少子化は突発的な出来事ではなく、静かに積み重なった結果であり、この数字は社会全体が直面している現実の輪郭を示している。



