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株式会社峰岸商会

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株式会社峰岸商会 峰岸一郎|企業の目的は存続にあり~モノづくりの心を未来に繋ぐ

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「鋼の燈火(ともしび)を絶やすな」「経営は信あるのみ」。50年以上にわたり山梨県で金属材料の卸売業を営む株式会社峰岸商会。代表取締役社長の峰岸一郎さんは、同社の3代目社長として創業者の教えを胸に県内製造業界の土台を支えてきました。今回は、峰岸さんが感謝を表したいステークホルダーについてお話を伺いました。その言葉の中には、日本のモノづくりの現場が直面する現状と課題が浮き彫りになると共に、未来に向けた筋の光が見えてきました。

山梨の製造業と共に歩む

Q.御社は山梨県下随一の金属材料の販売会社として事業を営まれています。まず御社の来歴からお伺いします。

峰岸:弊社の発足は1967年で、私の父が甲府市で個人経営の特殊鋼専門販売店を開いたのが事業の始まりです。それまで父は東京の鋼材の商社に勤めていて、山梨県の営業を担当していました。当時昭和30年代は日本がまだ経済成長著しい頃で、日本各地に小さなモノづくりの工場が生まれ始めていた。山梨県も同様で、父の勤めていた商社も山梨県の製造業の成長を見越して、父に営業を任せていたのですが、思ったほど製造業者が増えなかった。その結果、山梨県からの撤退が決まり、東京に戻って来るようにという指示があったのだそうです。しかし父は「自分を信頼して取引を始めてくれた幾つかの会社があり、それを裏切ることはできない」と会社の方針に反対し、1人山梨に残って峰岸商会を設立したのです。

Q.以来山梨県に根を下ろし、地域と共に経営を続けて来られた。

峰岸:それから50年以上、弊社は山梨県の経済、製造業の発展を見つめ続けてきました。

山梨県の製造業の発展にはメーカーの進出とインフラ整備の2つが重要な要素になっています。

戦時中、東京の企業は山梨に疎開して工場を建設しました。今も山梨県中央市に工場を構える株式会社甲府明電舎もそういった由来を持っています。他にも河口湖の周辺では戦前から織物産業が盛んだったことから、織機の製造や修理をする企業が多かったそうです。戦時中には川崎や横浜方面から疎開してきた工場が建設されて、幾つかは今も残っています。それらの企業の城下町として協力会社が周辺に誕生していった。

しかし当時は東京から山梨に来るとなると車で甲州街道をひた走り、笹子峠の旧道を超えて来なければならなかった。まだ笹子トンネルがない時代でしたから。父の話ですと東京と山梨の往復は日帰りではできなかったそうです。

今なら中央自動車道で片道2時間ほどしかかからないのですが。その後中央自動車道が東京方面から徐々に開通し、それに伴い山梨県内に幾つもの工業団地が造成されることになりました。国母工業団地や釜無工業団地などが誕生し、東京とのアクセスの改善によって様々な企業が山梨に移ってくることになりました。

こうして山梨の製造業界が発展していったのです。

モノづくりが滅びかけている

Q.しかしその後、日本の不況に伴い山梨の製造業も苦境に立たされるようになった。県の工業統計調査を見ても、2010年に2087件あった事業所が、2020年までの10年で1669件と、20%も減少している。峰岸さんもその状況に強い危機感を抱いていると。

峰岸:不況と少子高齢化によって、製造業に興味を示す人材が減少しています。私の周囲でも廃業するところは多い。家族経営の中小企業は高齢化し「自分たちは年金をもらうようになったし、息子たちも仕事を継ぐ気はないし、いい機会だから会社を畳もう」と考える……。そういうところがこの10年で急激に増えました。

また製造業で起業しようとする若者がいなくなりました。工業高校や大学を卒業した若者は大手企業への就職を希望します。プレハブ小屋に機械を持ち込んでゼロから会社を立ち上げようとするような若者はもういません。県内の何人もの社長さんとも話しましたが「もう製造業の時代じゃない」と。

それは恐怖です。山梨県のモノづくり会社が激減しているのです。

製造業が魅力的でなくなったのは、大手メーカーの対応にも原因があると思います。高度経済成長の時代には、大手メーカーは協力会社と手に手を取って共に成長していこうとする志があった。しかし今はどうでしょうか。拝金主義、株価重視の思考が広がり、ただ単価だけを見て判断する会社ばかりになっている。そうやって大手メーカーが町工場の首を絞め、潰していった。

これは山梨だけの問題ではありません。大手メーカーの体質が変化し、R&Dに資金を投入することを止めた結果、画期的な製品は生まれなくなりました。三菱重工も飛行機の製造を中止しましたね。開発部門にとってはショックなことだと思います。

技術開発への投資は得するか損するか分かりません。ただ根気強く挑戦を続けていかなければ革新は生まれてきません。それを怠り、ただ海外の新しい製品のモノマネを作るだけでは日本のモノづくりは滅びます。

Q.大手メーカーはリーマンショック以降、研究開発の予算を大幅にカットするようになりました。それが企業の足腰を弱くした。

峰岸:日本から世界に対抗できるモノは生まれなくなっています。だから若手には海外に向かうように勧めています。海外ならば日本でできない研究もできる。ただモノづくりには貪欲さ、しつこさ、めげなさが必要です。100回試してみて1つしかモノにならない世界です。だからめげないで続けてもらいたい。

過去、偉大な先人たちは何度も挑戦し、モノづくりをしてきました。昔、スバル360やホンダのカブなどを開発していた人たちは、自らのテスト車両をチーム一丸でいかに強く、人に優しく、世の中に役に立つものを貪欲な精神で製造しようと立ち向かっていきました。この精神が今日本の製造業にほしいと思います。

また私は経営者として、どうやったらこの業界の下降曲線を止めることができるのかを考え続けています。弊社も山梨で54年にわたり事業を行ってきました。だから製造業の未来が見えてしまう。私たちは山梨県の企業としてまず地域を大事にし、製造業を支えていかなければならないのです。

経営を続けることがモノづくりを守る

Q.御社の経営理念を拝見すると、「企業の使命は存続にあり」と掲げておられます。

峰岸:経営者としての役割は会社を存続させることだと考えています。それは父が創業した時、山梨のお客様のためを思って始めた時と同じ気持ちです。また父は亡くなる前に私に「鋼の燈火を消すな」と話していました。

現在、山梨県内に同業の会社は幾つかありますが、どれも規模は弊社と比べて遥かに小さい。デリバリー、品質、対応、切断なども大きく違うでしょう。もちろん、彼らが得意なことはあります。ただ、それらが無くなってしまったら製造業にとって大きな損失です。だから「鋼の燈火」を消さないために、日本の製造業を絶やさないためにも私は会社を存続させていかなければならない。それが使命だと思っています。

峰岸商会が感謝を伝えたいステークホルダー

お客様との向き合い方
株式会社中村製作所さんへ

甲府市飯田にある株式会社中村製作所さんは現在の代表取締役社長中村和夫さんのお父様、中村芳文さんが創業した会社です。中村和夫社長の息子さんも専務になられているので親子3代続いています。中村和夫社長が専務の頃からですから、もう30年以上公私ともどもお世話になっています。
 
私自身が悩んだり、不安を抱えている時に中村和夫社長に相談を聞いていただきました。また、先代社長の中村芳文さんと私の父も強い信頼で結ばれていたので、親子2代にわたって続いている関係です。
 
中村芳文さんは「輝いている人」でした。ご高齢になってもいつも上下作業着で現場に姿を現して機械オペレーター1人1人に話かけて、気を配っていた。中村芳文さんの仕事で思い出すのは切削で出る銅粉を丁寧に小さなほうきで集めていた姿です。
 
「丁寧にやる!無駄にしたらダメなんだ。こういうのが大事なんだ。これをリサイクル業者がメーカーに渡し再利用できる。こういう考えでないと製造業はやっちゃいけない」と。
 
他にも当社がご提案し行っている製品の中で、板材から部品を切り出したあとの使用できる材料も手を加えて使われています。捨ててしまったらただのゴミですが、再利用すれば材料になる。そういう製造業として現在SDGsでも伝えているように「循環型の社会」というあるべき姿を教えてもらったと思います。
 
現在の中村和夫社長もその哲学を受け継いでおられます。中村和夫社長には、次代の中村健太専務が会社を引き継いだあとには何を望んでいくのか、そして中村和夫社長は何かやり残したことはありませんか、とお伺いしてみたいですね。

株式会社中央精工さんへ

韮崎市にある株式会社中央精工の保坂雄飛治代表取締役もお世話になった方の1人です。最初にお会いした私が20代の頃は、納品に行くたびに叱咤激励されました。ただ、その中には育成という部分の優しさがあったと思います。青二才の私に「製造業たるべきものはこういうものだ」と心得を教えてくれていた。私を鍛えてくれていた、と思っています。
 
弊社をとてもかってくださっているので、その信頼に応えようと私たちも努力しています。息子さんが入社されましたので、どのような夢を持っているのか、そして今後のモノづくりをどう捉えられているのか、ぜひお聞きしたいです。

株式会社中家製作所さんへ

代表取締役の望月英昭さんは私の兄のような存在のように感じています。望月英昭さんの父、創業者の望月英良さんは私の父の同世代の方でしたが、本当にかわいがってもらいました。
 
株式会社中家製作所さんは、東京エレクトロン株式会社さんの一次協力会社で、創業した頃は返品の嵐でとても苦労されたと伺っています。しかし東京エレクトロン株式会社さんは協力会社を育てることを惜しまない会社で、共に成長できた、と。
 
望月英昭さんも苦労人です。私も相談に乗っていただいたり、仕事をいただいたりしています。色々と聞きたいこともありますが、まずは弊社を頼っていただいてありがとうございます、とお伝えできればと思います。

株式会社松下製作所さんへ

会長をされている松下慶麿さんには私の仲人親になっていただきました。今でも親代わりのように慕っていて色々相談しています。
 
現在は2人の息子さん、長男の松下紘審さんがタイのコラート市にあるコラート松下の代表取締役社長、次男の松下清人さんが代表取締役社長をされているので、事業承継については順調に進んでいるようです。ただ、タイで事業を始めた時は、とても苦労されていたのを覚えています。
 
松下慶麿会長のお話で印象に残っているのは、会長がまだ40代だった頃に「日本もこのままだとイギリスと同じになってしまう」と言われていたことです。
 
その予想は的中して、イギリスの製造業は崩壊して、数々あった自動車メーカーは全て外国の会社の所有になってしまった。タイに進出した背景にはそういった危機感があったのだと思います。
 
世界はこれからどうなっていくのか、そして2人の息子さんにどう期待しているのか、と聞いてみたいですね。

株式会社メイコーさんへ

もう亡くなられましたが、当時会長の上野喜衛さんにもお世話になりました。お伺いするとお茶を飲みながら「業界の話を教えろ」「困ったらうちに来い」といったお話しをされたことを覚えています。
 
親分肌の人でした。私も怒られながら、色々教えていただきました。一度、会社の決算資料を私と私の父の前に広げて「これで会社が良いのか悪いのか教えろ」と言われたことがありました。私たちの見解が聞きたい、と。会社の内情を全てさらけ出すことですので、そう簡単にはできないことです。それだけ私たちを信頼してくれていた。
 
現在は上野富男社長さんが後を継がれてまた、ご子息が入社したとのことで、今後の展開についてどう考えておられるのか伺ってみたいですね。
 
私の父は常に経営は「信あるのみ」と話していましたが、(株)中村製作所の中村芳文さん、(株)中家製作所の望月英良さん、(株)メイコーの上野喜衛さん、今皆さんはお亡くなりになってしまいましたが、山梨の製造業の先人達が残した、製造業の大事な道、教示いただいたのこの「信あるのみ」を今後も語りまた実践していきたいと思っております。

社員・家族との向き合い方
社員の皆へ

弊社は定着率が高く、皆10年以上勤務してくれています。それは会社を継続する要だと思っています。現在14名が勤務してくれていて中には60代が3名、70代もいらっしゃいます。最長老が切断担当の嶋田正二さん。加工担当の望月利明さん。そして業務だと功刀功さん。そして上野原営業所で事務をされている大浜久美子さん。
 
皆さん、私が20代だった頃から存じ上げている方々です。バブル崩壊、ITバブル、リーマンショック、東日本大震災、そして米中経済摩擦と新型コロナと、様々な谷の時がありました。それを共に乗り越えてきた。人生の30年、40年を弊社に捧げてくれたわけですが、ここの会社で働けてよかったですか?と聞いてみたいですね。
 
私は農業法人も運営しているのですが、そこで収穫した野菜を、まずは社内に出荷しています。物で感謝を示すわけではありませんが、少しでも家計の役に立っていただいたり、何かを感じてくれるものがあれば私としては嬉しいですね。

取引先との向き合い方
碓井鋼材株式会社へ

碓井鋼材株式会社さんの協力なくして、納期対応やデリバリーはできません。「豆腐屋と材料屋は朝が早い」という言葉は私が作った造語ですが、弊社も朝6時にはシャッターを開けます。
 
碓井鋼材株式会社さんは千葉の浦安にある会社ですが、弊社の営業開始時間の朝6時に入荷を合わせてくれるのでとても感謝しています。だから弊社もデリバリーを早くでき、8時にはお客様にお届けできる。山梨県の製造業を支えているのは碓井鋼材株式会社さんが早く納入してくださるから、と言っても過言ではないと思います。
 
碓井鋼材株式会社さんも、朝6時に山梨まで来るので、その帰りに町田や相模原を回って帰れるようになった。今後、圏央道や中部横断自動車道などが広がっていけば商圏がさらに拡大していくでしょう。関東一円にスピーディに配送できるようになる。その点について碓井鋼材株式会社がどう考えていらっしゃるのか、お聞きしたいですね。

地域社会・地球環境との向き合い方
公益財団法人やまなし産業支援機構さんへ

県の出先機関として、私たちに県内外、海外の情報や特許の問題、産業構造の問題や様々な提言などをくれます。これは当然のことではなくて、向こうもこちらをよく知ってくれているから峰岸に伝えようと思っていただいている。私が今理事をしている一般社団法人山梨県機械電子工業会の事務局も山梨県産業支援機構の中にあります。この2つにはとてもお世話になっています。行政の窓口としてなくてはならない存在です。

甲府信用金庫さんへ

甲府信用金庫朝気支店の雨宮正利支店長、そして弊社を担当してくれている小泉大輔店長代理は様々な形で支援をしてくれています。特に以前担当であった現在田富支店の立川智一支店長には大変お世話になりまして、信用金庫のビジネスネットで静岡県の企業とのマッチングフェアに参加させていただいたおかげで、御殿場の企業と取引が始まりました。事業を進めていくためには金融機関との関係はとても重要ですので、今後もご支援くださいとお伝えしたいです。

未来との向き合い方
未来世代へ

先ほどもお話ししましたが、父は亡くなる前、私に「鋼の燈火を消すな」という言葉を遺しました。
 
弊社が取り扱う特殊鋼の原料は、山陰の出雲地方で誕生します。切削で出る切粉も大切な再生資源になります。特殊な素材をお客様が必要とする時にお届けし続けるには、二宮尊徳翁の教え「売って喜び、買って喜ぶ」、石田梅岩の言う「三方良し」、この日本の商いの原点を追求し続けなければなりません。
 
いつの日かモノづくりを志す若者の心に火に宿すためにも、未来世代のために企業を存続させること。それが私の使命だと思うのです。

<プロフィール>

峰岸一郎

1966年5月23日生まれ。1990年に父の創業した株式会社峰岸商会に入社。現在同社代表取締役社長。キツネファーム/(株))スリーピークスの代表取締役で、地元農業の活性化にも取り組んでいる。

株式会社峰岸商会

本社 〒400-0832 山梨県甲府市増坪町74番地

Tel.055-241-3151 Fax.055-241-8530

http://www.minegishi-web.co.jp/

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WRITER
シニアライター
菰田 将司
このライターの記事一覧

1980年千葉県生まれ 筑波大学大学院博士課程中退(台湾留学経験有り)。専門は中国近代政治外交史。その他、F1、アイドル、プロレス、ガンダムなどのジャンルに幅広く執筆。特にガンダムに関しては『機動戦士Vガンダム』blu-ray Box封入ブックレットのキャラクター・メカニック設定解説を執筆(藤津亮太氏と共著)。

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